南北自由通路に改札口が
地平に島式ホーム2面4線を備える駅で、駅舎は橋上に設けられています。小田急と相鉄の乗換駅として多数の乗客が乗り降りしますが、改札は1個所のみで、すべての乗降客が南北自由通路を通って出入りします。相鉄との連絡改札はありませんが、駅舎はつながっています。かつては玄関も共用でしたが、今では分離されています。
地平に島式ホーム2面4線を備える駅で、駅舎は橋上に設けられています。小田急と相鉄の乗換駅として多数の乗客が乗り降りしますが、改札は1個所のみで、すべての乗降客が南北自由通路を通って出入りします。相鉄との連絡改札はありませんが、駅舎はつながっています。かつては玄関も共用でしたが、今では分離されています。
駅の南口にはペデストリアンデッキが整備され、駅周辺のショッピングセンター「ビナウォーク」へと連なっています。駅前広場はバスターミナルになっていますが、現在ではペデストリアンデッキに囲まれるようになっています。
北口は、JR相模線との乗り換え通路になっていますが、小田急のグラウンドなどがあるのみで、ほとんど開発は進んでいません。日立製作所の工場などがあるものの、事実上、JRとの乗り換え専用出口と化しています。
大きな海老名電車基地があり、常に多くの列車が行き来しています。
一部の特急ロマンスカー、快速急行および急行が停車します。特急ロマンスカーの停車駅については割愛しました。
東側から順に、1番線、2番線…となります。
確認中。
小田原線全線開通当時は、先に開業していた神中鉄道(現・相模鉄道)と接続するため、同線(現在では貨物線-厚木線)と交差する付近に「海老名国分」駅が設けられました。その後、神中鉄道が相模国分-海老名間を1941年11月25日に開業させた際に、神中線から小田急の相模厚木(現・本厚木)への乗り入れが行われるようになり、この乗り入れ列車にかぎって旅客営業を開始しました。すなわち、他社直通列車にかぎり旅客営業を行っていたわけで、現在では、JR東日本・鹿島線の鹿島神宮-鹿島サッカースタジアム間のような存在に近かったといえるでしょう。
小田急の電車が海老名駅に停車するようになったのは、神中鉄道が相模鉄道(現・JR相模線)に合併された1943年4月1日のことです。なお、この時点で、小田急は東京急行電鉄に合併されています。現・相鉄線の小田急乗り入れは戦後まで続きましたが、海老名で平面交差して車両が横断するのがネックとなり、列車本数の増加を受けて、1964年11月に廃止されています。
1972年には、300両を超える収容量数を誇る海老名電車基地の供用が開始されました。
確認中。