東京都は、浅草・三田・新宿・大江戸の4地下鉄、都電荒川線、新交通システムの日暮里・舎人ライナー、上野動物園モノレールを保有・経営しています。担当部局は交通局で、ほかに大規模な路線バスを展開しています。
京急・京成と相互乗り入れを行う浅草線は軌間1,435mm、当初は東武と相互乗り入れを行う予定だった三田線は軌間1,067mm、京王と相互乗り入れを行う新宿線は軌間1,372mmと軌間がまちまちです。他社乗り入れのない大江戸線は、断面が小さくリニアモータ駆動であり、前3線とは車両のサイズなどがまったく違います。このため、お互いの乗り入れや車両の融通ができず、各線ごとに異なる車両を用意する必要があります。
1911年8月1日に、東京市が電気局を設置して路面電車の運営を始め、1942年2月1日に王子電気軌道(現・荒川線)などを戦時統合しています。戦後は、営団(現・東京地下鉄)とは別に地下鉄の運営を行うようになり、1960年に最初の都営地下鉄が開通しています。また、線路敷設が不要なトロリーバスが、1952年5月20日以降、4路線開業しました。しかし、交通渋滞が深刻化したこと、交通量増大による定時制確保の困難になったことにより、路面電車とトロリーバスは1967年から順次廃止されていき、専用軌道が多く代替輸送が困難な荒川線を例外として、1972年までに一掃されています。
長らく、営団地下鉄と別々の経営が行われていることに関して、都内交通一元化の要望が絶えないものの、新線建設費用負担、職員待遇の格差などの対立点が表面化することが多く、営団が株式会社化されるという大きな動きがあったにも関わらず、いまだに実現の見通しは立っていません。第一歩となる両者の運賃統合についても、目黒-白金高輪(営団南北線と都営三田線の二重戸籍区間)開業時に議論が起こりましたが、結局は同区間が営団ベースの特定運賃区間となるに留まっています。
(2004年12月31日)
【URL】 http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/
★1996年3月21日、上野動物園東園にて完乗(その後の開業区間も乗車済み)。2005年7月3日、荒川一中前にて全駅乗降(その後の開業駅も乗降済み)。
正式名称は「1号線浅草線」。西馬込から、京急に方向別同一ホームで接続している泉岳寺を通り、新橋、日本橋、浅草と古くからの市街地を貫通し、京成と接続する押上にいたる、18.3kmの地下鉄です。軌間は1,435mm、架空集電方式を採用しています。全線が地下を走っており、品川-新橋は京浜東北線・山手線と平行して古くからのビジネス街、東銀座-東日本橋は繁華街とビジネス街、浅草橋以北は下町といった雰囲気です。泉岳寺-押上の区間で、泉岳寺接続にて京急、押上接続にて京成・北総鉄道(千葉ニュータウン鉄道含む)・芝山鉄道との乗り入れを行っています。
京急が羽田空港アクセスに力を入れたこともあって、羽田空港と品川・日本橋・浅草を経て成田空港を結ぶ路線というカラーを押し出しており、普通列車のほか、東銀座・宝町・人形町・浅草橋・蔵前・本所吾妻橋を通過するエアポート快特が運転されています(押上と泉岳寺以外に待避駅がないため、ダイヤに余裕のないラッシュ時には運転されません)。多くの列車が泉岳寺から京急へ直通しており、西馬込方面は区間列車が運行されることが多くなっています。
押上から浅草橋までの区間が、1960年12月4日に開業し、この際に京成と相互直通運転を開始しました。これは、地下鉄と民鉄の乗り入れとして、日本初のものです。その後、東日本橋、人形町、東銀座、新橋、大門と順次延長され、1968年6月21日には泉岳寺まで開通し、京急との相互直通運転を開始しました。西馬込までの区間は、1968年11月15日に開通しています。
(2004年12月31日)
西馬込-馬込-中延-戸越-五反田-高輪台-泉岳寺-三田-大門-新橋-東銀座-宝町-日本橋-人形町-東日本橋-浅草橋-蔵前-浅草-本所吾妻橋-押上
白金高輪から、三田、神保町、巣鴨を経て西高島平にいたる、24.2kmの路線で、正式名称は6号線三田線です。このほか、目黒-白金高輪の第2種鉄道事業免許を持ち、同区間にて第1種鉄道事業免許を保有する東京地下鉄と共同運行を行っていますが、ここでは除外しました。白金高輪から目黒を経て、東急目黒線(目蒲線・東横線)の武蔵小杉まで、相互直通運転を行っています。神保町以南はおおむねビジネス街を走り、春日以北は山手の住宅地を進みます。志村坂上の先で地上に出て、大規模団地を抱える高島平を経て、トラックターミナル脇の西高島平に到着します。車庫は、西台に隣接する志村車庫が使われています。全ホームに腰高のホームドアが設置されており、東急乗り入れ開始と同時に、ワンマン運転が実施されました。
計画当初は、西高島平から和光市へ進んで東武東上線に乗り入れ、相互直通運転を行う予定でしたが、西高島平から先の延長は実現せず、その役割は東京地下鉄の有楽町線が達成しています。また、三田から五反田へと進み、東急池上線と相互直通運転を行う構想もありましたが、こちらも現実になることはありませんでした。
1968年12月27日、6号線の巣鴨-志村(現・高島平)が開業したのが始まりです。1972年6月に日比谷、1973年11月に三田まで開通して都心に直結し、1976年5月には西高島平まで延長し、1978年7月に現在の路線名となりました。長らくこのままの状態が続きましたが、営団南北線と共同して東急目黒線と総合乗り入れを行うこととなりました。
(2005年1月3日)
白金高輪-[三田]-芝公園-御成門-内幸町-日比谷-大手町-神保町-水道橋-春日-白山-千石-巣鴨-西巣鴨-新板橋-板橋区役所前-板橋本町-本蓮沼-志村坂上-志村三丁目-蓮根-西台-高島平-新高島平-西高島平
京王新線の新宿から、神保町、馬喰横山、森下、船堀を経て本八幡にいたる、23.5kmの路線で、正式名称は10号線新宿線です。新宿から京王に乗り入れ、相模原線の橋本および高尾線の高尾山口まで、相互直通運転を行っています。新宿折り返しの列車はあまり多くなく、京王新線に入って笹塚まで乗り入れる列車が多数を占めています。各駅停車のほかに急行列車が運転されており、新宿、市ヶ谷、神保町、馬喰横山、森下、住吉、大島、船堀に停車、通過設備のある岩本町と瑞江で待避が行われます。新宿線内の急行列車は、京王線に乗り入れても同様に急行として運行されるものが多くなっています。車両基地は大島にあります。
中央総武緩行線のバイパス路線としての役割を担っていますが、急行の設定は同線との競争を意識したものといえます。新宿から岩本町まで、靖国通りの下を走り、隅田川を渡ってからは新大橋通りの下を進みます。東大島の西側で地上に出て、ここから船堀まで高架線を進みます。船堀の先で再び地下に入り、北東へ進み本八幡にいたります。かつては、ここから千葉ニュータウン方面へ線路を延ばす計画があり、千葉県が免許を保有していましたが、実現の見込みはなく、現在は免許が失効しています。
1978年12月21日、岩本町から東大島までが開業。1980年3月には新宿まで開通し、同時に開業した京王新線と接続し、相互直通運転を開始しました。1983年12月には船堀、1986年9月には篠崎と延長され、1989年3月19日に本八幡までの全駅が開通しています。1997年12月24日に急行の運転を開始し、ダイヤ改正ごとにその本数が少しずつ増えています。
(2005年1月3日)
[新宿]-新宿三丁目-曙橋-市ケ谷-九段下-[神保町]-小川町-岩本町-馬喰横山-浜町-森下-菊川-住吉-西大島-大島-東大島-船堀-一之江-瑞江-篠崎-本八幡
都庁前から、春日、蔵前、森下、門前仲町、大門、青山一丁目、新宿を経て都庁前にいたり(環状部)、さらに中野坂上、練馬を経て光が丘までを結ぶ(放射部)という、「ラケット型のルートを形成する40.7kmの路線で、正式には「12号線大江戸線」です。鉄車輪リニアモータ式地下鉄で、カーブや勾配に対して柔軟に対応できるほか、車両のコンパクト化による建設費抑制を実現しています。車両基地は木場にあります(都立木場公園の地下)。
従来は地下鉄が走っていなかった区間を連絡し、なおかつ交差する既存の地下鉄との接続の便を図るため、カーブが多く非常に深いところを走ります。新宿以西では郊外を走る通勤路線の色合いが濃くなっていますが、ほかの区間は、東京の街を万華鏡のように見るかのごとく、地上を走っていればきわめて変化に富んでいたであろうと思われるところを、縫うように進みます。
1991年12月20日、12号線として光が丘-練馬が開業し、1997年12月には新宿まで開業しました。この後、路線名の公募が行われ「東京環状線」が採用され、同時に「ゆめもぐら」なる愛称が加わりましたが、石原慎太郎東京都知事の反対により再審議が行われ、現在の「大江戸線」に落ち着きました。2000年4月に国立競技場前まで開通し、この際に現行線名に変更、同年12月に全線が開通しました。
(2005年1月3日)
[都庁前]-新宿西口-東新宿-若松河田-牛込柳町-牛込神楽坂-飯田橋-[春日]-本郷三丁目-上野御徒町-新御徒町-蔵前-両国-[森下]-清澄白河-門前仲町-月島-勝どき-築地市場-汐留-[大門]-赤羽橋-麻布十番-六本木-青山一丁目-国立競技場-代々木-新宿-都庁前-西新宿五丁目-中野坂上-東中野-中井-落合南長崎-新江古田-練馬-豊島園-練馬春日町-光が丘
三ノ輪橋から王子駅前、大塚駅前を経て早稲田にいたる12.2kmの軌道線で、現存する唯一の都電として名高い路線です。飛鳥山付近などの一部区間をのぞき、多くの部分が専用軌道となっています。軌間は1,372mmというかつての馬車軌道標準軌間で、全線複線直流電化(600V)。地下鉄と同様に交通局が運営していますが、営業体系上は鉄道よりバスに近く、東京近郊の路線バス用プリペイドカード「バス共通カード」が利用できる一方、東京近郊の民鉄共通の「パスネット」のカードは対応していません(「バス共通カード」は2010年7月をもって利用停止予定)。
大関横丁脇の三ノ輪橋停留所を出ると、荒川区内を西へ横断するように進み、町屋駅前からは両脇に側道を従えるような格好で進みます。車庫が分岐する荒川車庫前を通り、JRに沿って王子駅前に到着すると、ここからU字状にカーブを描いて飛鳥山公園を回り、飛鳥山に着きます。ここからは、民家の裏庭のような区間を専用軌道で進みます。地下鉄三田線と接続する新庚申塚、“お婆ちゃんの原宿”こと巣鴨方面への最寄り停留所である庚申塚を経て、大塚駅前で山手線のガード下に入ります。駅前広場を短い併用軌道で抜け、雑司ヶ谷や高田の住宅街を抜け、早稲田大学の裏手方面に入っていきます。
王子電気軌道によって、飛鳥山-大塚が1911年8月20日に開業したのが最初です。1913年には三ノ輪-王子駅前(現・王子駅前か? 詳細は未確認)が開業し、この両線は1915年4月に接続しています。1925年11月には鬼子母神前、1928年12月には面影橋へと延長され、1930年3月には早稲田仮駅まで開業しています。現在の早稲田がターミナルとなったのは1932年1月17日で、これで全線が開通しました。1942年2月1日、戦時交通統制によって東京市に合併され、現在にいたっています。都電としては2系統に分かれていましたが、1974年に統合され、荒川線と改称されました。なお、王子電気軌道の支線だった王子駅前-赤羽は廃止されています。
(2005年1月3日)
三ノ輪橋-荒川一中前-荒川区役所前-荒川二丁目-荒川七丁目-町屋駅前-町屋二丁目-東尾久三丁目-熊野前-宮ノ前-小台-荒川遊園地前-荒川車庫前-梶原-栄町-王子駅前-飛鳥山-滝野川一丁目-西ヶ原四丁目-新庚申塚-庚申塚-巣鴨新田-大塚駅前-向原-東池袋四丁目-都電雑司ヶ谷-鬼子母神前-学習院下-面影橋-早稲田
JR京浜東北線および山手線の日暮里から北へ進み見沼代親水公園へいたる、全長9.7kmの新交通システムです。東京都による都市計画道路整備の一環としてつくられたもので、ほとんどの区間が尾久橋通りの高架上を走行します。足立区西部地域は都心への交通の便が悪く、朝のラッシュ時には多数の路線バスが渋滞に巻き込まれるのが状態と化しており、これを解消するのが第一の目的でした。当初は東京都出資の第3セクターが運営する予定でしたが、諸般の事情により東京都交通局が直営で運営することとなりました。既存の高架の新交通システムと同様、大半の駅が島式ホーム1面2線から成り、多くの駅が高架下の地上2階に改札を設け、そこから階段およびエレベータなどで尾久橋通りの両側に出られるという構造を取っています。
運賃体系は、都バスや都電とは異なり距離に応じて運賃が変わる方式で、バス共通カードは利用できず、当初はパスネットが利用できる予定でした(実際には開業前にパスネットの利用自体が中止されました)。なお、都営地下鉄とは運賃設定が異なり(地下鉄の初乗りは170円、日暮里・舎人ライナーの初乗りは160円など)、回数券なども相互利用はできません。
JR日暮里駅の東口を出るとすぐに尾久橋通りに入り、そのまま通りの中央に設けられた高架上を進みます。ただし、熊野前駅付近から扇大橋北詰付近までの間は尾久橋通りの東側を走ります。熊野前で都電荒川線をオーバークロス、墨田川と荒川をわたってまっすぐ北上、荒川区から足立区に入ります。足立区内の沿線では、鉄道の便が悪かったこともあって、トラックが盛んに出入りする流通拠点や倉庫などが多く立地しています。車両基地は舎人公園の直下にあり、本線と分岐する舎人公園駅は全線で唯一2面4線となっています。
なお、現在でも全区間にわたって都バスが平行して運行されています(里48系統)。これは、バリアフリー設備完備とはいえ駅へのアクセスが難しい利用者へ配慮する必要があること、舎人付近から日暮里への利用者にとっては均一運賃の都バスとは異なり実質的に値上げとなっていることなどが背景にあると思われます。
(2010年2月18日)
日暮里-西日暮里-赤土小学校前-熊野前-足立小台-扇大橋-高野-江北-西新井大師西-谷在家-舎人公園-舎人-見沼代親水公園
恩賜上野動物園の東園(ひがしえん)と西園(にしえん)を結ぶ懸垂式モノレールで、営業キロは0.3kmです。上野動物園は2つの区画に分かれ、両園間は一般道路で区切られていますが、これを結ぶ歩道橋を使えば自由に連絡できるので、モノレールは実質的に遊戯施設の一部となっています。車体にはパンダなどのペイントが施されています。
1957年12月17日、上野動物園本園-上野動物園分園が、日本最初のモノレールとして開業しました。東京都が地下鉄を補完する中量輸送機関のテストケースとして採用したもので、ゴムタイヤを利用した変形ランゲン式が採用されています。設備不良により2001年11月から運転を休止していましたが、2002年3月12日から運行を再開しています。
(2005年1月3日)
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