駅舎は線路の間に
日暮里を出た常磐線電車は、右へと大きくカーブを描きます。ここから北千住までは、常磐快速線が単独で走ります(各駅停車は綾瀬から合流します)。
小さなビルの間を抜けるように進み、高架に入ってしばらく経つと、最初の駅である三河島に到着します。
日暮里を出た常磐線電車は、右へと大きくカーブを描きます。ここから北千住までは、常磐快速線が単独で走ります(各駅停車は綾瀬から合流します)。
小さなビルの間を抜けるように進み、高架に入ってしばらく経つと、最初の駅である三河島に到着します。
三河島駅は尾竹橋通りの西側に設けられている駅です。なお、乗降客が少ないため「みどりの窓口」は廃止されました。
ホームは島式1面2線から成ります。出口は東側(北千住方)の端に1個所のみあり、西側(日暮里方)には屋根がないうえ屋根が短いため、ホームからの眺望がよい駅ではありますが、雨天時には難儀します。
駅の周辺は、新宿区大久保地区と並ぶ東京有数のコリアンタウン(特に済州島出身者が多いことで有名)で、ハングルの書かれた飲食店などが多く見られます。
特別快速は通過します。
南側から順に1番線、2番線となります。
三河島の地名については、荒川にほど近い低地にあり、三つの水路がこの地を流れていたことから付いたという説、あるいは三河守の屋敷がこの地にあったことに由来するという説などがあります。三河島の名は室町時代まで遡りますが、住居表示により地名としては消滅しています。
日暮里-南千住の短絡線が開通した1905年4月、中間駅として設けられました。当初は旅客駅でしたが、1909年8月1日から貨物の扱いを開始しています。
三河島の駅名を知らしめているのは、1962年5月3日に発生した「三河島事故」です。下り貨物列車が脱線したところに下り電車が衝突して転覆し、脱出した乗客の列の中に上り列車が突っ込み、死者160名を数える大惨事となりました。
1970年7月1日には旅客のみの扱いとなりました。
確認中。
確認中。