南海電車のターミナル駅で、駅ビルには高島屋が入り、新歌舞伎座と向かい合うかのように堂々とした姿を見せています。百貨店の入ったターミナル駅としては阪急梅田などと同様ですが、こちらは鉄道会社が建物のオーナーで百貨店が店子という関係になっています。御堂筋の南詰にこのような百貨店入居駅ができたのは、その前に完成していた阪急百貨店梅田店が御堂筋の北端にあり、これに対して高島屋が真っ向勝負を挑んだという時代背景がありました。
南海電車のターミナル駅で、駅ビルには高島屋が入り、新歌舞伎座と向かい合うかのように堂々とした姿を見せています。百貨店の入ったターミナル駅としては阪急梅田などと同様ですが、こちらは鉄道会社が建物のオーナーで百貨店が店子という関係になっています。御堂筋の南詰にこのような百貨店入居駅ができたのは、その前に完成していた阪急百貨店梅田店が御堂筋の北端にあり、これに対して高島屋が真っ向勝負を挑んだという時代背景がありました。
駅ビルを設計したのは、東武鉄道の浅草や参宮急行電鉄(現・近鉄)の宇治山田を手がけた、久野節建築事務所。鉄筋鉄骨コンクリート地上8階地下2階の示す存在感はなみなみならぬものがあります。14スパンのアーチとその下に連なる長方形の窓がみごとで、静と動を同時に示しているようです。大阪大空襲の際にも部分的な被災で済み、当時は焼け野原と化した大阪市街のどこからも見ることができたといわれています。
駅ビルの玄関部分には、創業当時の社章だった羽根車など、さまざまな装飾が施されています。
大阪高島屋の南側には南海系列の商業エリア「なんばCITY」があり、ホームはその3階にあります。大規模な頭端式となっており、8面9線から成ります。
南海線系統(和歌山方面)と高野線系統(橋本方面)が完全に分離しており、それぞれの普通・各停列車と優等列車が出入りするさまは、関西では阪急梅田駅につぐ規模を誇ります。なお、全ての駅に止まる列車は、南海線は「普通」、高野線は「各停」と呼称が分かれています。
すべての列車が、難波から天下茶屋まで停車します。なお、今宮戎と萩ノ茶屋の両駅は、高野線系統のみが停車します。
始発駅なので当然ですが、すべての列車が停車します。
確認中。
難波の地名は、古代この地域一帯は瀬戸内海に面した港でしたが、水深が浅く航行が難しいために「難波」(なにわ)と呼ばれるようになり、これが「なんば」に転訛したものです。
1885年12月、阪堺鉄道(阪堺電鉄や阪堺電気軌道とは別の会社)のターミナルとして開業しました。同社が南海と合併したのちは南海のターミナルとなり、和歌山方面への拠点となりました。1925年3月には、高野線の難波乗り入れが実現し、橋本方面への拠点ともなっています。
確認中。