仁徳天皇陵として知られる大仙古墳の北東側、JR阪和線と交差する位置に設けられた駅です。
南海高野線は地平を、JR阪和線は堀割をそれぞれ走っていますが、JRには単独の駅舎はなく、相対式ホーム2面2線から成る南海高野線の両ホームにそれぞれ設けられている駅舎(北口および西口)から出入りすることになります。これは、もともと両線の交差部には駅がなかったのですが、両線がともに南海鉄道として統一された際に、相互の乗換駅として設置されたため、出口が地平にある高野線ベースとなったものです。なお、北口には南海の改札とJRの改札が両方設置されていますが、西口には南海の改札のみです(連絡改札経由で)。
JR阪和線とは異なり、南海高野線の三国ヶ丘駅には準急(堺東以南は各駅に停車)以下のみ停車となっています。乗降客数では南海全体でも5番目に多い駅としてはかなり冷遇されていますが(難波、新今宮、天下茶屋、堺東に次ぐ)[1]、乗客が阪和線へ逸走するのを防ぐ狙いがあると思われます。もっとも、駅の規模と乗降客数がそぐわないため、あえて優等列車の停車を避けて分散化しているという見方も可能でしょう。
駅のホームには数多くの店舗が入っています。現在メインになっている北口には、商業ビルが多く立地しています。
停車列車 [2017年5月現在]
準急と各停のみが停車します。
駅名の由来
三国ヶ丘の名称は、摂津、河内、和泉の三国がこの地で境を接することによって付いたといわれていますが、もともと三国ヶ丘と称されたのは堺東駅の東側にある方違神社の一帯であり、現在の三国ヶ丘駅とはやや離れています。
歴史
詳細は確認中。
- 1942年2月15日
- 開業。
- 2013年9月7日
- 橋上駅舎および東西自由通路供用開始[2]。