島式ホーム2面4線から成る地平駅で、このほか側線が複数設けられています。非常に古い駅で、ホームの幅が広くて長く、“汽車”が発着していた時代を感じさせます。
ホームの西側に駅事務所と駅舎があり、駅舎との間は跨線橋で連絡しています。「みどりの窓口」および改札口は跨線橋と同じ高さにあるため、橋上駅舎と似た形態になっていますが、出口は西側にしか設けられていません。
熱田神宮の最寄り駅のひとつで、古い宿場町に接していたこともあり、かつては快速も停車していました。その後、名古屋の中心地が北へ移動すると熱田駅の比重は徐々に低下し、隣接する金山駅が交通の要衝と位置づけられるようになると、かつての栄華をホームに残すのみの駅となりました。それでも正月には、熱田神宮への参拝客で賑わいます。
駅名の由来
いうまでもなく熱田神宮から取られたものです。
歴史
中京地区で最初に鉄道が開業したのは武豊-熱田で、1886年3月1日の時点では、熱田駅は名古屋側の拠点となっていました。その1か月後に(旧)清洲、その1か月後に一ノ宮(現在の尾張一宮)、さらにその1か月後に木曽川と、ひと月ごとに路線の延長を繰り返していきました。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
1886年(明治19年)3月1日武豊-熱田間が開通した際、暫定終着駅として開業。
1886年(明治19年)4月1日熱田-(旧)清洲(現在は事実上廃止)間が開通、中間駅となります。
1984年(昭和59年)1月9日この日限りで貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)4月1日国鉄の分割民営化に伴い、JR東海およびJR貨物の駅になります。