島式ホーム1面2線から成る駅ですが、旅客ホームを取り巻くように数多くの側線があり、貨物列車の入れ替え作業などが行われるため非常に複雑な配線になっています。
東西に出入口がありますが、メインは東口で、橋上駅になっており、南北に出口が通じています。駅舎のメイン部分は線路の北側にある3階建てで、駅舎というよりは事務所という雰囲気になっています。
いっぽう南側は、ゆったりした駅前広場に通じています。海がほど近いのですが、駅のすぐ南側に田子の浦が広がっていますが、現在では田子の浦港として開発されており、景勝地としての面影はありません。
このほか、駅の西側の通路は岳南鉄道の改札と直結していますが、そのまま駅の北側へ抜けることもできるので、もうひとつの出口となっているともいえるでしょう。
駅の周囲には工場や倉庫が多く並んでおり、製紙工場の煙突から白煙がのぼる姿をあちこちで見ることができます。
吉原は東海道の宿場町として発展しましたが、駅は市街地から大きく離れたところに設けられています(旧吉原市の中心地へは、岳南鉄道が連絡)。吉原から富士にかけて、富士山麓の地下水を利用した製紙・パルプ工場が多く立地していますが、水質汚染や大気汚染などの公害問題が深刻で、現在ではややくすんだ工業地域といった印象があります。
歴史
国府津-沼津-静岡開通当時に設置された駅で、当初は周囲の集落名をベースに「鈴川」と称しました。西隣の富士より20年以上早く開業したことになります。
吉原の中心街から大きく離れていたため、長らく鈴川の駅名が使われましたが、1956年4月10日に、市名の吉原市にあわせて改称されました。その後、1966年11月1日に吉原市は富士市と合併してその名前を返上していますが、駅名はそのままです。
略年表(クリックまたはタップで開閉)
- 1889年(明治22年)2月1日
- 国府津-御殿場-沼津-静岡間が開通した際に、「鈴川」駅として開業。
- 1956年(昭和31年)4月1日
- 「吉原」と改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日
- 国鉄の分割民営化に伴い、JR東海およびJR貨物の駅となります。