櫛形ホームが並びます
地鉄本線は、電鉄富山駅から東へほぼ直線上に進み、拠点中間駅である上市に到着します。富山地鉄の鉄道線各駅のなかでは、電鉄富山についで乗降客が多い駅です。
電鉄富山からほぼ真東へ走ってきた列車は、ここで進行方向を変え、北へと進んでいきます。完全な平坦地であるにもかかわらずスイッチバックになっているのは、上市の集落を貫通して滑川方面へ向かうのが難しかったためでしょう。このため、上市駅のホームは櫛形の頭端式となっており、ホームの先に改札口と駅舎があります。ホームの点字ブロックはホーム上屋部分に相当する長さしかないのが少し気にかかるところです。
列車はほぼ90度向きを変えます
すべての列車が向きを変えるという運転上の拠点駅であり、構内は広く、側線が多く用意されています。上の写真では、電鉄富山方面からきた列車が右側に入って宇奈月温泉方面へ向かい、逆に宇奈月温泉方面からきた列車は左側ホームに停まり電鉄富山方面へ進みます。ホーム右側には空き地がみえますが、これはかつて車両基地が設けられていた跡地です。
特急の所要時間を示す掲示が
ホーム上屋の下には、特急の所要時間をアピールする掲示がありました。電鉄富山まで15分、宇奈月温泉まで45分とのことですが、2015年現在のダイヤでの電鉄富山までの所要時間は、最速で16分、便によっては19分かかり、宇奈月温泉までの所要時間は、最速で48分、便によっては51分かかります。かつては速かったのでしょう。
コンコースはずいぶん広く
駅舎は線路の向きと垂直方向になっており、鉄筋コンクリート造2階建て(一部3階建て)で、立派なコンコースがあり、自動券売機が設けられています。駅員が常駐しています。改札前にはベンチが用意されています。
改札を出ると、営業している店舗が並んでいます。かつては駅全体が大規模なショッピングセンターであり、専門店街や娯楽施設が2つのフロアにひしめいていたといいます。現在ではかつての盛況はうかがえないものの、中滑川や電鉄魚津とは異なり現在でもそれなりのテナントが入っているため、なんとか“シャッタービル”にはならずに済んでいます。農協が同居しているほか、路線バスやタクシーの出入りも盛んです。
上市の駅ビルは中滑川と同様の方式で、上市町農業協同組合(現・アルプス農業協同組合)に土地を譲渡、同組合によってマーケットビルを建設したもので、1972年11月23日に完成しました。当時は上市自動車営業所が入り、サービスセンターが設置されて電車とバスの営業案内が一体化され[1]、大手スーパー「ジャスコ」の店舗が入り商業の中核となっていましたが、現在では小規模店舗がぽつぽつ入るのみとなっています。
停車列車 [2013年12月現在]
全列車が停車します。
駅名の由来
駅のある上市町の町名は、法音寺の門前町を中心として三のつく日に「三日市」が開かれたのち、三日市の東に「上の市」が開かれ、この地が上市野と称されたことに由来するといいます[2]。
歴史
立山軽便鉄道が1913年6月25日に滑川-上市口-五百石を開通させた際に設けられた、現在の富山地鉄における鉄道線ではもっとも古い駅で、当時は「上市口」と称しました。立山鉄道(1917年6月25日に改称)は1931年4月6日(3月18日という説もあり)に富山電気鉄道と合併、同年11月6日には上市口-滑川において電化および1,067mmへの改軌が行われ富山市街地と滑川を結ぶルートの拠点となり、11月7日には上市口-上市(現在の上市駅とは異なり、上市の市街地に設けられた別の駅)を開業させるいっぽう、上市口-五百石は1932年12月20日に営業廃止となっています。
戦時統合により富山地方鉄道が成立した後の1943年11月1日、現在の「上市」と改称しました。なお、上市口-(旧)上市はあわせて廃止されています(未確認ですが同日と思われます)。
※富山地方鉄道の路線改廃などの日付については書冊による異同が大きく、一次史料による確認が求められます。本稿では、富山地方鉄道『富山地方鉄道五十年史』、『鉄道ピクトリアル』No.642(1997年9月号)電気車研究会、41-46ページ、同No.701(2001年5月臨時増刊号)49-51ページを参考にしました。
- 1913年6月25日
- 開業。