集落の玄関口はコテージ風駅舎

目名

めな Mena
目名駅
▲目名駅駅舎《2016年1月11日撮影》

険しい無人地帯を越えて

目名駅を発車する小樽行ディーゼルカー
【写真1】目名駅を発車する小樽行ディーゼルカー。《2016年1月11日撮影》

熱郛の先で、函館本線は20パーミル近い急勾配を、カーブやトンネルを使って越えていきます。かつては重連の蒸気機関車が黒煙を上げる区間として知られていましたが、言い換えれば非常に線形が厳しい区間ともいえます。国道5号線から離れたこの区間はほぼ無人地帯で、ひたすら山林と渓谷のみが車窓を流れる区間になっており、かつて設けられていた上目名駅は、周辺が無人であることから国鉄末期に廃止されています。

峠を越えてからしだいに車窓が穏やかになり、広大な農地が左右に広がるようになって、目名駅に到着します。

変則的な交換可能駅

目名駅ホームから函館方を望む
【写真2】目名駅ホームから函館方を望む。《2016年1月11日撮影》

線路はホームのある本線の向かい側にもう1本、副線が設けられていますが、副線側には旅客用のホームは設けられていないため、少なくとも一方が通過列車である場合のみに行き違いが可能となっています。このように変則的な配線になったのは、有珠山の噴火に伴って室蘭本線経由だった特急列車や貨物列車が函館本線を迂回することになった際に設置されたためで、通常はホーム側の本線のみが使われています。そもそも、目名駅を通過する旅客列車自体、設定されていません。

無人化に伴い棒線化

ホームと反対側に残る小屋
【写真3】ホームと反対側に残る小屋。《2016年1月11日撮影》

国鉄時代は通常の交換可能駅でしたが、ご多分に漏れず、無人化に際して棒線化されています。国鉄時代のホームは函館方に今でも残っていますが、まったく使われていないようです。

駅舎はなかなかの存在感

ホーム側から見た駅舎
【写真4】ホーム側から見た駅舎。《2016年1月11日撮影》

駅舎は丸太を組み合わせた、コテージのような建物になっており、列車を降りるとかなりの存在感を示しています。トイレは駅舎内にありますが、ホームから直接行き来する形になっています。

事務所はあるが窓口はなし

目名駅駅舎内(北側)
【写真5】目名駅駅舎内(北側)。《2016年1月11日撮影》

ホーム側から駅舎に入ると、内部は丸太が直接丸出しになっているものの、外装とは打って変わって明るいカラーリングになっています。右手にはポリカーボネートの椅子が置かれているほか、事務室があるものの、乗車券類の委託販売などは行われていません。駅施設を管理している自治体の詰所などとして使われているものと推測されます。

駅舎は地元の集会所を兼ねて

目名駅駅舎内(南側)
【写真6】目名駅駅舎内(南側)。《2016年1月11日撮影》

駅舎内の反対側、すなわち列車を降りて左側に目を向けると、丸太のテーブルと椅子がどんと置かれているのが目に入ります。この施設は「町民サロン」となっており、駅の待合室としてだけではなく、地元の集会所としても活用されているようです。

梁が丸見えに

目名駅駅舎内(天井部)
【写真7】目名駅駅舎内(天井部)。《2016年1月11日撮影》

建物の内部は丸太が丸出しで、天井もなく梁が丸見えになっています。

駅前には郵便局が

目名駅駅前
【写真8】目名駅駅前。黒い煙は、たまたまこのタイミングで発生した火事によるもの。《2016年1月11日撮影》

目名駅はまとまった集落の玄関にあたる位置にあり、駅前には郵便局のほか商店も立地しています。

駅周辺には人の行き来が

目名駅周辺
【写真9】目名駅周辺。《2016年1月11日撮影》

民家が立地しているだけではなく、人が行き来していて生活感のある空間となっているため、人の気配があまり感じられない駅を見てくると、ほっとする気分になります。特に観光地があるわけではありませんが、駅周辺を散策すると、さまざまな形状の建物を目にすることができました。

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1904年10月15日
北海道鉄道が熱郛-小沢間を開業させた際、「磯谷(いそや)」駅開業。
1905年12月15日
駅名を「目名」に変更。
1907年7月1日
北海道鉄道の国有化に伴い、逓信省帝国鉄道庁の駅となります。
1974年9月4日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。
2018年9月6日
北海道胆振東部地震に伴い、函館本線を含むJR北海道全線が運休。
2018年9月15日
函館本線・長万部-倶知安間が復旧、運転再開。

周辺の見どころ

確認中。

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