かつては機関庫設置駅

野田生

のだおい Nodaoi
野田生駅
▲野田生駅駅舎《2016年1月10日撮影》

周囲の開けたホーム

野田生駅下りホーム(奥は旭川方)
【写真1】野田生駅下りホーム(奥は旭川方)。《2016年1月10日撮影》

落部に続いて、内浦湾へ流れる河川が形成した小平野に設置された駅、野田生があります。ホームに立つと、まわりに灌木が伸びるものの、周囲がゆったりと開けているのがわかります。

2つのホームは構内踏切で分岐

野田生駅構内踏切
【写真2】野田生駅構内踏切。《2016年1月10日撮影》

相対式ホーム2面2線から成り、両ホームの間は構内踏切で連絡しています。2つの線路の間から、かつては中線があったものと思われますが、現在では撤去されています。

裏側にも通路が延びる

野田生駅下りホームから裏手へ通じる通路
【写真3】野田生駅下りホームから裏手へ通じる通路。《2016年1月10日撮影》

駅舎は上りホーム側に設置されていますが、下りホームから西側へと伸びる、おそらく非公式の通路があります。現在は相対式ホームとなっていますが、下りホームの外側にはやや広いスペースが広がっており、かつては外側線があったか、あるいはさらに側線が伸びていたものと推測されます。

裏口通路の奥には住宅地と小学校

野田生駅裏手には住宅地が広がっています
【写真4】野田生駅裏手には住宅地が広がっています。《2016年1月10日撮影》

この“裏口”通路をまっすぐ進んでいくと、その先には住宅地が広がっており、さらに進むと野田生小学校があります。敷地の内外を仕切る柵や塀が設けられていないあたりに、北海道の学校らしさを感じます。

駅舎はごくコンパクトなもの

野田生駅駅舎内
【写真5】野田生駅駅舎内。《2016年1月10日撮影》

駅舎は石倉駅と同様、待合室機能にわずかなスペースがあるのみのコンパクトなもので、椅子がいくつか置かれているのみです。

ここの駅名表示にも遊び心が

軒下の駅名表示
【写真6】軒下の駅名表示。《2016年1月10日撮影》

軒下にある駅名表示は、駅名の漢字を一つずつ四角で囲う形になっており、丸囲みの石倉駅のそれと同様、遊び心が感じられます。駅舎そのものがあまりにも無機質であるため、このような工夫を残したのでしょうか。

駅前には商店街が形成

駅前の商店街
【写真7】駅前の商店街。《2016年1月10日撮影》

野田生駅正面からは国道5号線へ向かってまっすぐ道路が延びており、その両側には商店が居並び、小規模ながら商店街が形成されています。私が訪れたときには営業している店舗はあまり見られませんでしたが、これは日曜日だったためかもしれません。

一方、駅を出て右手には大きな農業倉庫が並んでおり、かつては農産物の搬出拠点だったことがうかがえます。

かつては機関庫が設置されていました

商店街側から駅舎を見る
【写真8】商店街側から駅舎を見る。《2016年1月10日撮影》

明治時代にはここに機関庫が置かれていたといいますが、今となっては単なる中間駅に過ぎず、想像もつきません。当時は鉄道職員が多数在住していたのでしょう。

野田生の集落は比較的大きく、小学校と中学校が別々に設置されています。

停車列車 [2016年4月現在]

普通列車のみが停車します。

乗り場

北側(駅本屋側)から順に、1番線、2番線となります。

  • 1.函館本線上り 森、函館方面
  • 2.函館本線下り 八雲、長万部方面

駅名の由来

確認中。

歴史

詳細は確認中。

1903年11月3日
北海道鉄道が森-熱郛間を開業させた際、「野田追(のだおい)」駅開業。
1907年7月1日
北海道鉄道の国有化に伴い、逓信省帝国鉄道庁の駅となります。
1959年10月1日
駅名表記を「野田生」に変更。
1972年3月14日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR北海道の駅となります。

周辺の見どころ

確認中。

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