文字面にインパクトのある駅名

かなえ Kanae
鼎駅
▲鼎駅駅舎《2005年8月21日撮影》

 

鼎駅ホーム
【写真1】現在は片面ホームのみですが、かつての対向ホームがそのまま残っています。《2005年8月21日撮影》

かつて列車交換が可能だった名残のある駅ですが、現在は駅舎側の片面ホームのみが利用されています。使われなくなった旧下りホームは、庭かはたまた広告置き場かという状態になっています。

しっかりした駅舎があり、改札の上には「鼎駅」と大書してあります。画数が多くつぶれやすい字ではありますが、これなら文句なしにわかりやすいだろう、ということでしょうか。はたまた、鼎という地名のアピールも兼ねているのでしょうか。

 

改札上の「鼎駅」
【写真2】ホームに下りて最初に「鼎駅」の文字が目にはいると、相当なインパクトがあります。《2005年8月21日撮影》

集改札は行われていませんが、乗車券類の委託販売が行われており、窓口で切符や定期券を買い求める人が見られました。かつての手荷物扱い窓口の跡があるほか、比較的ゆったりした待合室もあり、古典的な駅のスタイルになっています。以前は、立ち食いそばのスタンドがありましたが、今では影も形もありません。

 

鼎駅待合室
【写真3】古典的な光景が残る駅舎内部。《2005年8月21日撮影》

駅舎全体のデザインにはさしたる特徴はなく、ひとつだけ真ん中に設けられている突起に違和感がある程度です。しかし、玄関周りの造形が丁寧で、軒には複雑な模様が施されていました。かつてはもっとしゃれた駅舎だったのが、後年の改築で素っ気ないものになったのかもしれません。

 

鼎駅玄関上
【写真4】意外なところに凝った造形が見られます。《2005年8月21日撮影》

駅周辺には、住宅と田畑、工場などが混在していますが、駅が生活の中心地となっているわけではないようで、駅正面の個人商店は店をたたんでいました。駅にいちばん近い営業店舗は薬局だったのですが、この地域において鼎駅はどのような役割を担っているのだろうか、という気になったものです。

停車列車

確認中。

駅名の由来

1875年1月23日に山村、名古熊村、一色村が合併した際に、3村合併であることから3足器である鼎を地名として採用、鼎村となったものです。鼎村は1954年に鼎町になったのち、1884年12月1日に飯田市へ編入されましたが、鼎の地名は現在も使われています。

歴史

伊那電気鉄道開通の際に設置されました。

1926年12月17日
伊那電気鉄道によって伊那八幡-飯田間が開業した際、鼎駅開業。
1943年8月1日
伊那電気鉄道が国有化され、国有鉄道(鉄道省)飯田線の駅となります。
1971年11月30日
この日かぎりで貨物営業廃止。
1987年4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、JR東海の駅となります。
2013年4月1日
無人化[1]

周辺の見どころ

確認中。

  1. 中日新聞・長野「JR飯田線9駅を無人化」(2013年4月2日)。※2017年6月14日現在リンク切れ

このページの先頭へ