西日本旅客鉄道(JR西日本)(近畿)

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国鉄東海道本線(東京-熱海-米原-神戸ほか)のうち、米原以西をJR西日本が承継しました。民営化後、米原-京都は「琵琶湖線」、京都-大阪は「JR京都線」、大阪-神戸は「JR神戸線」の通称が定着しましたが、現在も東西に走る幹線の正式名称は東海道本線です。草津以西の複々線には、新快速、快速、普通という3種別の列車が走り、特に京都以西では大手私鉄に対して、速度面で大きなアドバンテージを確保しています。とりわけ新快速の人気は高く、近江八幡以東でないかぎり、いつ乗ってもかなりの乗車があります。

平行私鉄に比べて駅の数が少ないのが特徴でしたが、民営化後は新駅の設置が目立つようになり、また快速や新快速の停車駅も増加傾向にあります。

(2007年2月19日、加筆修正)

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  • 米原-京都 1991年2月27日
  • 京都-高槻 1989年7月26日
  • 高槻-大阪 不明
  • 大阪-神戸 1987年8月20日

京都方面と北陸方面とをショートカットする目的で敷設された路線です。もともと、浜大津-近江今津を走っていた江若鉄道を国鉄が事実上買い上げ、その路盤上に建設されたという経緯があります。

比較的新しく建設された路線であるため、高架やトンネルでショートカットすることが多く、駅のホームも高架上に設けられているものが多くなっています。旅客列車は基本的に京都志向となっており、北へ進むにつれて本数がしだいに減少し、近江今津以北では特急のほうが普通・快速にくらべてずっと多く運転されています。

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  • 山科-近江塩津 1995年3月12日

大阪市の中心部を、その名のとおり環状に走っている21.7kmの路線です。JR東日本の山手線と異なり、線路名称上も正真正銘の環状線になっています。なお、今宮-天王寺は関西本線との重複区間になっています(『鉄道要覧』では、今宮-新今宮は大阪環状線と関西本線が重複、新今宮-天王寺は関西本線に分類)。また、関西本線や阪和線東海道本線京都方面、桜島線などから直通する列車が環状線と同じ線路を多数走っており、線内列車とそれ以外の系統が複々線(以上)になっている山手線とはこの点でも異なります。線路名称と、『鉄道要覧』で起点と終点が大きく異なっていますが、弊サイトでは後者に準拠してページ配列を行っています。

ほぼ全線にわたって高架化されています(新今宮の東側から天王寺までは、地上および地下を走ります)。天王寺から大阪までの区間は、住宅と商店が入り交じった大阪の下町を走っていき、大阪環状線の中でも混雑する区間です。大阪から西九条まではおおむねオフィス街の中を進みますが、西九条から分岐する桜島線へ直通するUSJ輸送で観光客の姿を多く見受けます。西九条から新今宮までは新しく開通した区間で、港湾に近い地域ということもあって線内流動は比較的小さくなっています。

東半分は、大阪鉄道によって大阪と天王寺を結ぶために建設された区間で、1889年から1895年にかけて順次着工されました。関西鉄道への合併後1907年に国有化され、天王寺-湊町(現、JR難波)は関西本線、天王寺-大阪は城東線となり、1933年に城東線が全線電化されています。いっぽう西半分は、西成鉄道によって大阪から港湾方面への連絡路線として着工され、1898年に大阪-安治川口が開通しています。1906年に国有化され、1909年には西成線となりました。電化されたのは1941年のことで、1943年に城東線との直通運転が行われます。大阪環状線が全線開通したのは1961年4月25日のことで、同日に路線名も変更されました。

(2006年10月14日)

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  • 大阪-天王寺-大阪 1987年4月1日

大阪環状線の西九条駅から分岐して桜島までいたる4.1kmの路線で、「JRゆめ咲線」という愛称が付いています。全線が複線です。

大阪湾周辺の工場への通勤輸送や貨物輸送が主目的の路線で、このため朝夕に混雑する一方で昼間は閑散としていましたが、大型テーマパークであるUSJが沿線に開業したことから、週末には多数の観光客が押し寄せるようになりました。車窓には倉庫や工場などが広がっており、あまり生活感が感じられません。

西成鉄道によって、1898年4月に大阪から安治川口までの区間が開通したのが前身です。国による借り上げを経て1906年12月に正式に国有化され、西成線の一部となっていました。1910年4月には、大阪-桜島の全線が開通しています。1940年1月には、安治川口駅でガソリンカー脱線事故が発生したこともあって、翌1941年5月には全線が電化されました。1961年4月25日に大阪環状線が全通すると、旧西成線のうち西九条-桜島は桜島線として分離されます。

(2006年10月14日)

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  • 西九条-桜島 1989年7月25日

民営化後の1997年3月8日に開業し、路線名にローマ字が採用された最初の路線です。ほぼ全線が地下を走り、駅もすべて地下に設けられています。施設は、第3セクターの関西高速鉄道が保有し、JR西日本は第2種鉄道事業を行っています。

片町線と福知山線を直結する目的で建設され、開業以前は「片福連絡線」と称されていました。駅名は建設当時の仮称とは大きく異なっています。

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  • 京橋-尼崎 1998年3月2日

東海道本線の尼崎駅から、山陰本線の福知山駅にいたる106.5kmの路線で、幹線系線区に分類されており、全線が電化されています。篠山口以南が複線化されており、同区間は「JR宝塚線」という愛称が付いています。

尼崎から宝塚までは大阪平野の北西部を走り、工場と住宅が混在しています。ここから道場までの区間は、電化される1986年までは武庫川の渓谷美を車窓に見られる区間でしたが、現在はトンネルでショートカットされています。新三田までは大阪へのベッドタウンとなっているほか、その先の区間も篠山口までは複線化による列車増発に伴い開発が進んでいます。篠山口からは田園地帯を進み、加古川線を分岐する谷川を経て、京都府北部の中心地である福知山で山陰本線に合流します。

福知山線の前身は、1891年9月に川辺馬車鉄道が尼ヶ崎(のちの尼崎港、現在は廃止)-伊丹によって開業したものです。同社は、大阪から舞鶴を結ぶことをもくろんでいた阪鶴鉄道に1897年2月合併し、同鉄道の手によって福知山まで開通しました。1907年8月には国有化され、のちに福知山線の名称となります。長らく全線非電化単線という、大都市近郊路線とは思えない状態が続きましたが、1981年4月1日にまず宝塚以南が電化され、さらに1986年には全線の電化と新三田以南の複線化が行われ、列車本数が大幅に増加し、西宮市北部および三田市の人口激増の一要因となりました。その一方で、尼崎港-塚口は細々と運行を続けたものの、1981年3月末かぎりで旅客営業を廃止、1984年1月末かぎりで貨物営業も含めて廃止されています。1997年3月のJR東西線開通後は、同線を介して片町線と直通運転を行うようになり、また篠山口以南が複線化されました。JR化後に姿が大きく変わった路線の代表として引き合いに出されることが多かった福知山線ですが、2005年4月25日には尼崎-塚口で脱線事故が発生、死者107名、負傷者555名を数える大惨事となりました。

(2006年10月14日)

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  • 尼崎-伊丹 1987年11月5日
  • 伊丹-宝塚 1989年6月25日
  • 宝塚-三田 1988年5月6日
  • 三田-谷川 1994年8月24日
  • 谷川-福知山 1994年2月21日

東海道本線の米原から分岐し、敦賀、金沢を経て新潟県の直江津までを結ぶ、北陸縦貫路線です。なお、新疋田以南以外の情報については、北陸エリアの北陸本線をご確認ください(未記述)。

東海道本線と北陸地域を結ぶ幹線ルートですが、京都・大阪方面と北陸を結ぶ列車は、夜行急行1往復を除いて湖西線経由で運行されており、名古屋方面および東海道新幹線からの乗り換えルートとしての面が強くなっています。

東海道線が開通した当時、物資の輸送を敦賀港から行ったり、長浜から大津まで連絡船が運航されるなど、重要な役割を担った区間でもあります。

米原-敦賀は、かつて交流区間であり、東海道本線との直通普通列車はほとんど設定されていませんでしたが、まず米原-長浜が直流化されて大阪方面への新快速が直通するようになり、さらに2006年には直流電化区間が湖西線とともに敦賀まで延長されました。

(2006年10月21日)

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  • 米原-(武生) 1993年11月23日

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  • (敦賀)-東舞鶴 1994年8月27日

東海道本線の神戸から西へ向かい、岡山、広島を経て山口県の下関へいたる路線です。このほか、下関-門司も山陽本線ですが、同区間はJR九州が運営しています。なお、兵庫県内の区間以外の情報については、中国エリアの山陽本線をご確認ください(未記述)。

兵庫県内では、神戸が起点となっているものの、東海道本線と一体化して運行されているため、同駅は実質的には中間駅にすぎません。沿線の人口密度が高い区間では、高速で快適な新快速電車が頻繁に運転されていますが、私鉄からの旅客の転移が大きく混雑しやすい列車になっています。なお、相生以西の岡山県との県境付近では列車本数が大きく減るため、特に「青春18きっぷ」シーズンに普通列車を乗り継ぐ人が多い時期には、便によっては大混雑となります。夜行列車を除いて山陽本線を東西方向に走る特急列車は基本的にありませんが、鳥取方面へ向かう特急列車が運転され、阪神地区および岡山と山陰を結んでいます。

このほか、兵庫-和田岬に山陽本線の枝線があり、区間内のみを往復する列車が運転されていますが、基本的に工場勤務者輸送に特化しており、平日の朝夕に列車が集中、それ以外の時間帯は運転していません。

(2006年10月21日)

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  • 神戸-姫路 1987年8月20日
  • 姫路-相生 1991年3月28日
  • 相生-(下関) 1992年3月28-29日
  • 兵庫-和田岬 1989年8月7日

新大阪から、岡山、広島、小倉を経て博多へいたる新幹線路線です。中国エリアの山陽新幹線をご確認ください(未記述)。

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  • 新大阪-新神戸 1991年7月3日
  • 新神戸-姫路 1996年2月20日
  • 姫路-(岡山) 1994年7月21日

山陽本線の加古川から、粟生、西脇市を経て福知山線の谷川にいたる48.5kmの路線で、地方交通線に分類されています。全線が直流電化されています。

加古川に沿って播州平野北東部を北へ進みます。沿線は基本的に農村地帯で、市街地を避けるかのように線路が敷設されていますが、加古川寄りでは大規模な住宅団地もあります。かつては加古川線から4つの支線が延び(高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線)、高砂以外の各線は加古川線に乗り入れて加古川まで直通していましたが、現在はいずれも廃止または転換されており、現在は線内運行のみの路線となっています。阪神・淡路大震災の際には、不通となった神戸地区を迂回するため、福知山線と加古川線を経由する山陽本線の列車が設定され、加古川線がバイパス線として活用されました。

もとが私鉄ということもあり、駅およびその周辺の設備は小規模なものが多く、駅前広場が整備されている駅は一部にすぎません。それでも、電化に際して駅舎やホームが再整備された駅が多くなっています。車窓はのんびりしたもので、西脇市以北でやや山間部に入っていくものの変化に乏しく、これといった特徴を感じられません。

播州鉄道によって、1913年4月に加古川町-国包(現、厄神)が、同年8月10日には西脇(現在は廃止)までが開通しました。1915年には官鉄加古川駅へ乗り入れています。1923年12月21日には播丹鉄道に譲渡され、翌1924年12月には野村(現、西脇市)-谷川が開通して加古川線が全通しました。1943年6月1日に国有化されています。

長きにわたって、地元では電化の要望がありましたが、これは2004年12月19日に完成しました。電化にあたっては、総資金の4分の1が、地元からの募金(地方自治体の負担とは別)によってまかなわれています。

(2006年10月21日)

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  • 加古川-西脇市 1994年2月20日
  • 西脇市-谷川 1994年2月21日

加古川線の野村(現、西脇市)から、西脇を経て鍛冶屋までを結んでいた13.2kmの路線です。第3次特定地方交通線に指定され、1990年3月31日かぎりで廃止されました。

廃止直前の駅は、野村(鍛冶屋線が廃止された1990年4月1日に西脇市へ改称)、西脇、市原、羽安、曽我井、中村町、鍛冶屋でした。鍛冶屋線が廃止されるまでは、加古川線野村以南と、鍛冶屋線野村-西脇は事実上同一路線として運営されており、加古川-野村が最大の運転本数で、加古川-鍛冶屋の列車もあり、加古川線の野村以北が支線といった形になっていました。これは、加古川線が市街地を避けるように敷設されており、鍛冶屋線の西脇駅が西脇市の中心に位置していたためです。しかし、国鉄末期に選定された特定地方交通線は線区単位で指定されていたため、需要の大きい野村-西脇を国鉄(→JR西日本)として運営することは許されず、また鍛冶屋線よりも輸送需要が小さいと思われる加古川線谷川方面が存続するという不可思議な結果になっています。その一方で、機械的に輸送密度で判断すれば第1次特定地方交通線(1981年9月指定)になるところ、第3次(1987年2月指定)にずれ込むなど、当時の廃止対象ローカル線選定における基準の矛盾を明確に示す路線でもありました。

西脇以南は市街地を走りますが、ここから北は杉原川のつくった谷や平野に沿って、農村地帯の中を北上しています。路線跡はサイクリングロードとして整備されているとのことです。

(2006年10月21日)

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  • 野村-鍛冶屋 1989年7月14日

山陽本線の姫路と、山陰本線の和田山を結ぶ65.7kmの路線で、地方交通線に分類されています。寺前以南の区間が直流電化されています。

路線名のとおり播磨と但馬を結んでおり、陰陽連絡線の1つで、大阪から姫路を通り播但線経由で北近畿との間を結ぶ特急「はまかぜ」が運転されています。かつては、大阪と鳥取を結ぶラインとして亜幹線的な位置づけになっていましたが、智頭急行が開通して以降は運行本数が減少、ローカル輸送が中心となっています。普通列車は、電化区間である姫路-寺前と、非電化区間である寺前-和田山で運転系統が完全に分かれており、全線を直通する列車はありません。なお、かつては飾磨港-姫路にも路線がありましたが、1986年10月末かぎりで廃止されています。

1894年7月、播但鉄道によって姫路-寺前が開通し、その後順次延長されます。1903年6月1日に山陽鉄道が播但鉄道を譲受、1906年4月1日に新井-和田山を最後に全線が開通しました。国有化後は大きな動きはありませんでしたが、民営化後の1998年3月14日に姫路-寺前が電化されています。

(2006年10月21日)

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  • 姫路-和田山 1994年7月21日

山陽本線の姫路から北西へ向かい、津山、中国勝山を経て伯備線の新見へいたる路線です。なお、兵庫県内の区間以外の情報については、中国エリアの姫新線をご確認ください(未記述)。

姫路側では都市近郊輸送の需要が大きく、播磨新宮付近までは多くの通勤通学客で列車はいっぱいになります。だんだん都市部から離れて山間に分け入っていくにつれて列車本数も減少していき、岡山との県境付近になると純然たるローカル線となります。かつては、大阪方面から姫新線を通り、中国勝山方面へ、あるいは東津山を経由して鳥取へ急行列車が走っていましたが、現在では普通列車(一部快速列車あり)のみの運行となっています。

(2006年10月21日)

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  • 姫路-播磨新宮 1987年8月20日
  • 播磨新宮-(津山) 1991年3月28日

山陽本線の相生から南西へ向かい、播州赤穂、備前片上を経て、東岡山で再度山陽本線に合流する路線です。全線が電化されていますが、地方交通線に分類されているとおり、山陽本線のバイパスというよりはむしろ、山陽本線とは遠く離れた地域のローカル輸送を中心に担っているとみるほうが適切でしょう。なお、兵庫県内の区間以外の情報については、中国エリアの赤穂線をご確認ください(未記述)。

相生-東岡山の営業キロは57.4kmです。相生-東岡山は、山陽本線と赤穂線で選択乗車区間となっており、いずれを経由する乗車券を所持している場合でも任意のルートを選択して乗ることができます。相生-東岡山では山陽本線経由のほうが営業キロは長いのですが、赤穂線は地方交通線であるため運賃計算キロ数では山陽本線を上回るので、いずれに乗る場合でも山陽本線経由の乗車券類を用意することをお勧めします。

海に近い地域を走るものの、新しく開通した路線ということもあり、トンネルでショートカットしている区間が多く、あまり眺望がよいとはいえません。相生から播州赤穂まではアーバンネットワークの中に入っており、山陽本線から新快速電車が乗り入れます。山陽本線とは異なり単線なので、所要時間はおおむね山陽本線よりも長くなっていますが、直通客はあまり多くないため、混雑回避ルートとして活用できます。

赤穂線が最初に開通したのは、1951年12月12日の相生-播州赤穂です。その後順次延長され、1962年9月1日に全線が開通しました。また、1961年3月30日に相生-播州赤穂が電化され、1969年8月24日に残る区間も電化されています。

(2006年10月21日)

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  • 相生-(西片上) 1991年3月28日

東海道本線の京都から山陰地方を東西に結び、福知山、城崎温泉、鳥取、米子、出雲市、浜田、長門市を経て山陽本線の幡生にいたる路線です。近畿エリアでは、京都-城崎温泉が電化されていますが、城崎温泉以西は非電化になっています。なお、京都府内および兵庫県内の区間以外の情報については、中国エリアの山陰本線をご確認ください(未記述)。

国鉄時代は、ほとんどの区間が非電化のため、本線とはいえどもローカル線の趣が非常に濃厚な路線でしたが、民営化後にテコ入れが図られ、京都付近では電車が頻繁に運転されるようになり、大都市近郊路線へと性格を変えています。京都-園部には「嵯峨野線」という愛称があり、観光客の姿も多く見受けられます。また、綾部や福知山といった都市と京都を結ぶほか、舞鶴や天橋立、城崎温泉へ向かう観光客も多く、特急列車が数多く設定されています。なお、嵯峨嵐山-馬堀は、1988年に電化された際、トンネルで山間部をショートカットする新線に移行し、旧線はJR西日本の子会社である嵯峨野観光鉄道によって運営されています。

その一方で、城崎温泉以西の非電化区間では列車本数は大きく減少しており、京阪神地域から鳥取方面へのルートも智頭急行経由に変わったため、ローカル輸送が中心になっています。兵庫県北部の険しい海岸線に沿って進むため、崖の上を走るような区間が多くて車窓には迫力があり、トンネルあり橋梁ありと変化に富んでいます。この区間でもっとも名高いのが餘部駅東側にある餘部橋梁(餘部鉄橋)ですが、老朽化により2007年の架け替え工事が決定しています。

京都側は、私鉄の京都鉄道により建設され、1897年2月15日に二条-嵯峨(現、嵯峨嵐山)を開通させたのを皮切りに、京都-園部および綾部-福知山を開業させました。1907年8月1日に国有化されたのち、1910年8月25日に園部-綾部が開通し、京都から福知山までがつながりました。その先は順次延長され、1912年3月1日の香住-浜坂を最後に京都-出雲今市(現、出雲市)が開通しています。

(2006年10月21日)

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  • 京都-二条 1994年7月21日
  • 二条-嵯峨嵐山(当時は嵯峨) 1988年11月10日
  • 嵯峨嵐山-綾部 1994年7月21日
  • 綾部-(松崎) 1994年2月21日

山陰本線の綾部から北東へ向かい、東舞鶴にいたる26.4kmの路線です。全線が直通電化されていますが、地方交通線に分類されています。

舞鶴と山陰本線を連絡するという性格が強く、線内ローカル輸送よりは都市間連絡輸送を担当する面が強くなっています。このため、京都から特急列車が乗り入れています。かつては、軍港である東舞鶴への軍需輸送、あるいは戦後の引き揚げ客輸送が中心でしたが、現在ではビジネス利用が中心になっている模様です。

1904年11月3日、綾部-新舞鶴(現、東舞鶴)ほかの区間が阪鶴鉄道によって開通したのが最初です。1907年8月1日に国有化されています。民営化後の1999年10月2日に電化され、特急「まいづる」が運行されるようになりました。

(2006年10月21日)

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  • 綾部-東舞鶴 1994年2月21日

三重県の亀山から伊賀上野、木津、奈良、天王寺を経てJR難波にいたる路線で、幹線系線区に分類されています。加茂-JR難波が直流電化、亀山-加茂が非電化となっており、電化区間には「大和路線」の愛称があります。亀山-JR難波115.0kmのほか、八尾から杉本町へいたる路線もありますが、同区間を運行する列車は2006年10月現在皆無で、休止状態になっています。なお、関西本線のうち名古屋-亀山は、JR東海が運営しています。

亀山から加茂までの区間は、滋賀・奈良:三重三県の境界付近の丘陵地帯を進みます。かつては中京地区と近畿地区を結ぶ幹線ルートとして長距離列車が盛んにいきかっていましたが、現在では区間内を走る普通列車が細々と運行されているのみで、事実上ローカル線となっています。これは、沿線人口が希薄であることに加え、加太越えの急勾配区間を抱えているためです。沿線の駅には古い駅舎やホームが無人化されたのちも活用されているケースが多く、国鉄時代の雰囲気を今なおとどめています。

いっぽう、加茂-JR難波は大阪近郊の通勤通学路線で、電車が頻繁に運行されています。大阪と奈良を結ぶにあたっては生駒山地の南側を迂回しているため、ライバル関係にある近鉄奈良線よりも大回りになっていますが、大和路快速は天王寺から大阪環状線を経て大阪へ乗り入れているため、利便性で勝負しています。

亀山側は、関西鉄道によって四日市-亀山-上柘植(現、柘植)が1890年12月25日に開通したのが最初で、1899年5月21日には名古屋-奈良が全通しました。いっぽう大阪側は、大阪鉄道によって柏原-湊町(現、JR難波)が開通したのが最初で、山越えの区間は人力車および徒歩による連絡という時期もありましたが、1892年2月2日に奈良-湊町が全通しています。1900年6月6日には関西鉄道が大阪鉄道を合併し、さらに1905年2月7日には奈良鉄道(現、JR奈良線)を合併、1907年8月21日には加茂-木津を開通させて木津-奈良を関西線に取り込みました。国有化されたのは1907年10月1日のことです。戦後は長らく非電化時代が続き、関西の気動車王国と化していましたが、1973年9月20日に奈良-湊町が電化され、1984年10月1日には奈良線とあわせて木津-奈良も電化されました。さらに、民営化後の1988年3月13日に加茂-木津が電化され、快速列車が加茂まで乗り入れています。

(2006年10月21日)

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  • 亀山-木津 1993年3月8日
  • 木津-天王寺 1987年11月5日
  • 今宮(当時は未開業)-JR難波(当時は湊町) 1993年3月7日

関西本線の柘植から伊賀街道と平行して北西へ向かい、東海道本線の草津にいたる36.7kmの路線です。全線が直通電化されており、幹線系線区に分類されています。全線が単線です。

滋賀県南部の農業地域を走る比較的地味な路線です。かつては、京都など関西方面と伊勢志摩を結ぶ急行列車などが多数運行されていましたが、現在は関西本線に直通する列車は皆無で、線内輸送が中心になっています。なお、ほぼ中間にあたる貴生川で、近江鉄道および信楽高原鐵道と接続しています。

1889年から1990年にかけて、関西鉄道によって開通しました。1980年3月3日に全線が電化されています。

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  • 柘植-草津 1995年3月12日

関西本線の木津から北へ進み、東海道本線の京都にいたる34.7kmの路線です。全線が直流電化されており、幹線系線区に分類されています。一部区間が複線化されていますが、多くの部分は単線です。路線名に反して、奈良駅はおろか奈良県内にもまったく入っていませんが、奈良線という路線名は、かつてこの線が奈良鉄道という私鉄だったことに由来します。

京都と奈良を結ぶ路線という位置づけですが、国鉄末期にいたるまで電化されておらず、一応幹線扱いになってはいたものの実質的にはローカル線で、平行する近鉄京都線とは勝負にならない状態が長いこと続いていました。民営化後はテコ入れが行われ、新幹線との接続路線であることを意識して快速列車の運行をはじめ、近鉄との差を徐々にせばめつつあります。

京都から宇治までは市街地を走り、京阪本線および京阪宇治線と平行します。この先はかつての低湿地および田園地域でしたが、都市圏の拡大によって宅地化が進んでおり、城陽あたりまでは都市近郊路線の趣です。ここから木津までの区間はローカル色が濃くなります。

奈良線の前身は私鉄の奈良鉄道で、1895年から1896年にかけて京都-伏見-桃山-木津-奈良を完成させています。1905年2月7日の関西鉄道への合併、1907年10月1日の国有化を経て、1909年に木津-京都が正式に奈良線となります。なお、このうち桃山-京都は現行の路線とは別の路線でした。いっぽう、現在は奈良線の一部となっている稲荷-京都は官鉄の東海道本線だった区間で、1897年8月18日に開業しましたが、1921年8月1日に新逢坂山トンネルが開通したのを受けて東海道本線から分離されました。この際、奈良線の伏見以北が廃止され伏見-桃山は貨物支線となり(まもなくこの区間も廃止)、桃山-稲荷に新線を開設して、東海道本線から分離された区間と接続しました。これによって、現在の奈良線が完成しています。その後は大きな変化はありませんでしたが、1984年10月1日に全線が電化され、1991年3月には快速電車が運行されるようになりました。

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  • 木津-京都 1989年7月26日

関西本線の奈良から南へ進み、天理、桜井を経て和歌山線の高田にいたる、29.4kmの路線です。全線が直流電化されていますが、地方交通線に分類されています。全線が単線です。

奈良、天理、桜井、橿原、高田と、大和時代において日本の中心だった地域の遺跡群を結んで走るような路線です。その一方で住宅開発などはあまり進んでおらず(むしろ文化財保護のため抑制される傾向あり)、観光客の比率が比較的高くなっています。また、天理教の祭礼や発掘調査説明会などがあると、通常の短編成の電車は満員となり、たいへんな混雑になる場合があります。2両編成が基本で波動輸送には必ずしも対応できないのが実情ともいえましょう。

奈良-桜井は奈良鉄道によって、桜井-高田は大阪鉄道によって開通しました。両者はともに関西鉄道に合併されたのち1907年10月1日に国有化されました。その後は大きな変化はありませんでしたが、1980年3月に全線が電化されています。

(2006年10月21日)

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  • 奈良-高田 1989年7月26日

関西本線の木津から北へ進み、ついで南西へと向きを変えて大阪環状線の京橋にいたる路線で、このうち定期旅客列車が走るのは木津-京橋の44.8kmです。このほか、吹田や八尾へ向かう支線(城東貨物線)が分岐しており、現在は貨物列車が運行しています。全線が直流電化されており、幹線系線区に分類されています。木津-松井山手が単線、松井山手-京橋が複線です。

片町線の名は、かつて京橋駅の西側にあったターミナル駅、片町からとったものですが、現在では同駅は廃止されています。現在では、路線名もほとんど使われておらず、愛称の「学研都市線」が定着しているため、片町線の呼称は消えつつあります。

木津から松井山手にかけては、生駒山地の東側を北上していきます。沿線は田園地帯で、ほぼ近鉄京都線に並行して進みますが、運転本数が少ないため区間内利用は少なく、大阪方面からの直通需要が多いようです。松井山手からは生駒山地の北側に開かれた住宅地の中を進み、京橋まで続いていきます。京橋ではJR東西線に接続しており、片町線の電車はJR東西線を介して尼崎まで進み、さらには福知山線東海道本線緩行線にも乗り入れを行っています。

片町-四条畷を1895年8月22日に開通させた浪速鉄道が前身にあたりますが、浪速鉄道はほどなく関西鉄道に合併され、関西鉄道によって木津までの区間が開通します。当初、関西鉄道はこの四条畷経由を名阪間のメインルートとしていましたが、ほどなくメインルートは奈良経由とされて四条畷経由は支線とされました。関西鉄道は1907年10月1日に国有化され、当初は木津-桜ノ宮が「桜ノ宮線」とされました。現在の線形となったのは。1913年のことで、ターミナルが片町となり、木津-片町が片町線となっています。また、1932年12月1日には、片町-四条畷が電化されたほか、駅の増設などが行われました。戦後は、1950年12月25日に長尾-四条畷が電化され、また1979年10月1日までに、長尾-片町が複線化されたほか、同区間の全駅で関西の国鉄線としては初めて、自動改札機が導入されています。その一方で、民営化直後まで長尾以東は非電化単線でタブレット閉塞式と、大都市近郊区間であることを忘れさせる状態で、長尾を境に「西側は国電、東側はローカル線」という図式が成立していました。民営化後の1989年3月11日に木津-長尾が電化されて京橋方面からの直通電車が走るようになり、車窓は大きく変わるようになりました。

(2006年10月21日)

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  • 木津-JR三山木(当時は上田辺) 1987年11月5日
  • JR三山木(当時は上田辺)-京田辺(当時は田辺) 1989年7月26日
  • 京田辺(当時は田辺)-京橋 1987年11月5日
  • 京橋-片町 1989年7月26日(1997年3月7日かぎり廃止)

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  • 放出-久宝寺 2008年3月30日

関西本線の王寺から、高田、御所、橋本を経て和歌山へいたる87.9kmの路線で、地方交通線に区分されています。全線直流電化、全線単線となっています。

王寺から御所までは、奈良盆地の南半分をその西側に沿って進みます。沿線人口はかなり多く、特に高田までの区間は運転本数も多いのですが、この付近では近鉄大阪線や南大阪線、およびそれらの支線のほうが運転本数が多く、大阪や奈良への移動にも便利なため、和歌山線はあまりパッとしない存在になっています。御所から五条にかけては山越えの区間で起伏のある区間を走り、現在でもスイッチバックが残っています。五条から和歌山にかけては紀ノ川沿いにゆったりと下っていきますが、人家が途切れることもなく、淡々とした農村風景が続いていきます。のんびりしたひとときを過ごすには好適な区間でしょう。沿線には、榮山寺や隅田八幡宮、粉河寺などの旧跡が多いのですが、桜井線などと比べて地味なものが多いともいえます。

和歌山線の前身は、大阪鉄道(王寺-高田)、南和鉄道(高田-大和二見)、紀和鉄道(大和二見-田井ノ瀬)という各私鉄で、これらが関西鉄道に合併されたのちに国有化されています。まず、1891年3月に大阪鉄道によって王寺-高田が開通しました。さらに、1896年5月から段階的に、南和鉄道が開通しています。紀和鉄道は、1898年4月に五条-橋本が開通、ついで1898年5月から1900年11月にかけて和歌山側から順次開通しました。紀和鉄道の和歌山側ターミナルは和歌山(現在の紀和)で、1903年3月21日に南海の和歌山市駅に乗り入れていますが、阪和電気鉄道の東和歌山(現在の和歌山)への乗り入れは行っていませんでした。1907年10月に国有化後、1935年1月1日に阪和との交差部に紀伊中ノ島駅を設置することでこれに替えています。戦後、東和歌山が国鉄のターミナルとなるに従い、和歌山(現在の紀和)を拠点とするのは輸送効率が悪いこともあり、まず1961年7月1日に田井ノ瀬-東和歌山が貨物支線として開業、ついで1962年12月31日に田井ノ瀬-和歌山の貨物営業を廃止しました。さらに1972年3月15日には、田井ノ瀬-和歌山(東和歌山から改称)の旅客営業を開始するいっぽう、紀和(和歌山から改称)-和歌山市を紀勢本線に移管することで、客貨ともに和歌山側のターミナルが和歌山へ移ります。さらに、1974年9月30日かぎりで残った田井ノ瀬-紀和が廃止されました。1980年3月3日には王寺-五条が、1984年10月1日には五条-和歌山が電化されています。

(2006年10月21日)

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  • 王寺-和歌山 1989年7月25日

関西本線の天王寺と紀勢本線の和歌山を結び、および鳳から分岐し東羽衣へいたる支線から成る63.0kmの路線で、幹線系線区に分類されています。

大阪ミナミのターミナルである天王寺に、櫛形の頭端式ホームを構えています。かつては阪和線の列車は、種別を問わずこの天王寺が始発となっていましたが、天王寺駅東側に関西本線との渡り線が設けられ、現在では大阪環状線を経由して西九条方面へ直通する列車が多数設定されています。大阪と和歌山を高速で結ぶことを目的としたため線形はいいものの、もとが私鉄だったこともあり駅の施設は概してコンパクトです。南海との競合路線であり、戦後しばらくは高速列車などが盛んに運転されていたものの、その後は旧型電車が多く投入されたり、高架化が後回しになったりするなど設備投資が先送りされる傾向があり、これは現在でもバリアフリー化された駅が少ないことなどに見て取れます。和泉砂川付近までは住宅が続き、駅と駅の間にときおり農地が見えますが、ここから南では山越えの区間となり、トンネルで和泉山脈をくぐります。なお、東羽衣支線は、鳳駅を出るとすぐに高架となり、そのまま南海羽衣駅のすぐ脇へ向かいます。

阪和線の前身は、戦前における高速電車運転で名高い阪和電気鉄道で、1929年7月18日に阪和天王寺(現、天王寺)-和泉府中および鳳-阪和羽衣(現、東羽衣)を開通させ、1930年6月16日には和泉府中-阪和東和歌山(現、東和歌山)を開通させています。平行する南海鉄道とサービスを競い、1933年には白浜方面への直通列車を運行したり、阪和間ノンストップの「超特急」を走らせたりするなど積極展開を行いましたが、輸送低迷により採算が悪化、1940年12月1日に南海に合併し南海山手線となり、さらに1944年5月1日には戦時買収され国有化されました。戦後も、他の国鉄線とは異なる「特急電車」「急行電車」「準急電車」(いずれも追加料金不要)が運転されるなど、特殊な路線となっていましたが、1958年にはその名称を消しています。民営化後、天王寺駅東側に渡り線が設置され、快速列車の多くが大阪環状線を経由して大阪方面へ直通するようになり、快速列車の利便性が向上しています。

(2006年10月21日)

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  • 天王寺-和歌山 1989年7月25日
  • 鳳-東羽衣 1989年7月25日

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  • 日根野-関西空港 1994年8月24日

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  • 新宮-和歌山 1994年7月26日
  • 和歌山-和歌山市 1989年7月25日

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