東武鉄道は、東京都墨田区・業平橋に本社を置く大手民鉄で、東京・埼玉・千葉・群馬・栃木の1都4県にわたり463.3kmの路線を持っています。
浅草を起点とする伊勢崎線グループ、池袋を起点とする東上線グループに分かれています。全線が1,067mm軌間で直流電化されており、伊勢崎線の押上および北千住、東上線の和光市を境として東京地下鉄との相互乗り入れを行っています。貨物営業は、2003年9月30日かぎりで廃止されました。伊勢崎線グループでは、日光や鬼怒川温泉へ向かう観光輸送、北関東各都市と首都圏を連絡するビジネス輸送を担い、有料特急・有料急行のほか、ツアー客対象ながら夜行列車を運行するなど、民鉄としては異色の列車運行を行っており、かつては「最も国鉄らしい私鉄」と呼ばれたこともありました。
「鉄道王」と称された根津嘉一郎が起こした会社で、1899年8月に北千住-久喜を開業させたのが始まりです。戦前は北関東を中心とした小私鉄の買収を重ねています。
(2004年12月1日)
【Link】 東武鉄道公式Webページ
★1995年4月13日、坂戸にて完乗。
曳舟から亀戸にいたる、わずか3.4kmの区間ですが、かつては東武鉄道と非常に関係が深かった総武鉄道(現・JR総武本線)との連絡線として、旅客輸送では両国橋(現・両国)まで乗り入れを行い、貨物輸送でも越中島方面への進出拠点とするなど、きわめて重要な役割を果たす路線でした。開業当初は純粋な連絡線でしたが、関東大震災後に工場が多く立地するようになり、中間駅が設けられました。
全線が複線化されています。現在は線内の区間列車が2両で行き来するのみで、ワンマン化されています。
(2004年12月1日)
わずか1駅、1.0kmのみのミニ路線。西新井大師への参詣輸送を担っています。西新井駅は無人化されており、出札などは大師前駅の大師線乗り場に設置された連絡改札で行うようになっています。
もとは、伊勢崎線の西新井駅と東上線の上板橋を連絡する計画によったものでしたが、ほとんど着工されることはありませんでした。
[西新井]-大師前
東武動物公園から関東平野を北上し、東武日光にいたる94.5kmの路線です。全線が複線化されており、南栗橋と新栃木に車両基地があります。全駅に停車する普通および準急、主要駅に停車する快速のほか、有料の特急・急行列車もあり、鬼怒川温泉方面に向かう特急列車と連絡する下今市-日光区間列車もあります。
1929年4月1日に、杉戸(現・東武動物公園)から新鹿沼まで開業し、10月1日には東武日光までの全線が開通しています。1960年代まで、日光への観光輸送で国鉄と激しい競争を展開しましたが、距離や線形、車両設備などで圧倒しています。
2004年10月には、栗橋でJRと接続し、JR新宿-栗橋-東武日光を結ぶ直通特急の運転計画が発表されました。
(2004年12月1日)
[東武動物公園]-杉戸高野台-幸手-南栗橋-栗橋-新古河-柳生-板倉東洋大前-藤岡-静和-新大平下-栃木-新栃木-合戦場-家中-東武金崎-楡木-樅山-新鹿沼-北鹿沼-板荷-下小代-明神-下今市-上今市-東武日光
日光線の新栃木から北東へ分岐し、東武宇都宮にいたる24.3kmの路線です。終点である東武宇都宮駅は宇都宮市街地のほぼ中心にあり、幹線である日光線と宇都宮を結ぶ亜幹線という位置づけになっていますが、実際には線内各駅の利用者を丹念に拾っていくというローカル需要が中心です。沿線は、田園地帯と工業地帯が交互に現れるようになっており、新栃木以北のみで比較すれば、日光線よりも人口が多いように思われます。
全線単線で、線内運転が中心となっていますが、急行列車「しもつけ」が1往復、浅草から乗り入れています。もっとも、この急行列車も9つある中間駅のすべてで列車交換が可能となっており、高密度運転も可能になっていますが、2005年10月現在では、普通列車は30分間隔の運行になっています。
東武鉄道の手によって、1931年8月11日に全線が開業しています。
(2004年12月1日)
(2005年10月12日、加筆修正)
[新栃木]-野州平川-野州大塚-壬生-国谷-おもちゃのまち-安塚-西川田-江曾島-南宇都宮-東武宇都宮
伊勢崎線の太田から赤城へいたる、20.3kmの路線です。全線が単線で、普通列車のほかに特急「りょうもう」が走っています。相老でわたらせ渓谷鐵道に、赤城で上毛電気鉄道に連絡していますが、列車の乗り入れは行われていません。
1913年3月19日に相老まで開業し、1932年3月18日に新大間々(現・赤城)まで開通しています。
(2004年12月1日)
[太田]-三枚橋-治良門橋-藪塚-阿左美-新桐生-相老-赤城
「東」京と「上」州、さらに越後へといたる長大鉄道を目指して着工された、池袋から寄居にいたる路線で、伊勢崎線系統とは完全に分かれていますが、軌間などはまったく同じです。和光市-森林公園で、東京地下鉄有楽町線と相互乗り入れが行われています。寄居で接続する秩父鉄道との乗り入れは現在は行われていませんが、伊勢崎線系統との車両の入れ替えの際には、この秩父鉄道を介して行われます。
和光市-志木が複々線となっています。複線区間は順次延長されており、現在は武蔵嵐山までですが、小川町までの複線化工事が行われています。小川町以遠は完全なローカル線扱いで、運転系統も完全に分離しており、一部の特急を除いてすべて小川町で乗り換えとなります。
都心側のターミナルは池袋で、和光市で接続している地下鉄有楽町線も池袋を経由しています。沿線に大学が進出してはいるものの、基本的に都心側への集中が著しい通勤通学路線としての色合いが濃く、埼玉県内は坂戸付近まで東京志向が強いといえるでしょう。この区間では、沿線の人口増が著しく、和光市から小川町までの22駅のうち、1970年以降に開業した駅が8つを占めています。郊外へのハイキングやウォーキングなどの需要も多少はありますが、沿線の観光資源に乏しい点も特徴です。
1914年5月1日、根津嘉一郎が社長を務めていた東上鉄道の手によって、池袋-六軒町(現・川越)-田面沢(のち廃止)が開業し、1916年10月27日には坂戸町(現・坂戸)まで延長されました。1920年7月22日に東武鉄道に合併されています。その後、1923年10月1日に武州松山(現・東松山)、同年11月5日に小川町、1925年7月10日には寄居まで、順次開通しました。当初は全線非電化でしたが、1929年10月1日に川越市まで、同年12月29日に寄居までの全線が電化されています。貨物営業は、1986年10月21日に廃止されています。
池袋-北池袋-下板橋-大山-中板橋-ときわ台-上板橋-東武練馬-下赤塚-成増-和光市-朝霞-朝霞台-志木-柳瀬川-みずほ台-鶴瀬-ふじみ野-上福岡-新河岸-川越-川越市-霞ヶ関-鶴ヶ島-若葉-坂戸-北坂戸-高坂-東松山-森林公園-つきのわ-武蔵嵐山-小川町-東武竹沢-男衾-鉢形-玉淀-寄居
東上線の坂戸から分岐し、JR八高線と構内を共有する越生にいたる支線です。武州長瀬-東毛呂のみが複線化されており、あとの区間は単線です。優等列車は設定されていません。
1932年2月17日、坂戸-森戸(西大家-川角間、現在は廃止)が越生鉄道の手によって開業しました。当初は高麗川の砂利運搬を担う貨物専業の鉄道でしたが、1934年に越生まで開業した際に旅客営業を開始し、同時に、一本松・大家(のち廃止)・川角・武州長瀬・東毛呂・武州唐沢の各中間駅が開業しました。1943年7月1日、戦時統合によって、東武鉄道に買収されています。戦後の1950年7月24日に電化されました。
[坂戸]-一本松-西大家-川角-武州長瀬-東毛呂-武州唐沢-越生