皇居に向かって荘厳な駅舎が構えます

東京

とうきょう
Tōkyō
東京駅
東京駅丸ノ内駅舎。2013年11月23日

高架上にホームが居並ぶ

東海道線ホーム
写真1東海道線ホーム。2011年4月3日

帝都である東京の玄関口として、皇居へまっすぐと通路を結ぶ位置に設けられた駅です。今でこそ単なる新幹線の始発駅という程度の存在ですが、日本にあまたある駅の頂点に位置するといえる存在でもあります。

東海道新幹線はJR東海の管轄ですが、それ以外の各線(東北・山形・秋田・上越・北陸の各新幹線、在来線各線)がJR東日本のテリトリーになります。

駅本屋が丸の内側にあることから、番線は中央線側からの順になっていますが、歴史的経緯を踏まえれば、やはり東海道線の出発ホームである9・10番ホームが筆頭格になると思われます。

東京駅は基本的には高架駅になっており、西側の総武線ホームおよび南側に離れた京葉線ホームが地下駅、となっています。大きく分けて、西側が丸の内口(皇居側)、東側が八重洲口(日本橋側)となっています。

東海道線の長距離列車はごく少数に

東海道線ホームで発車を待つ夜行臨時快速「ムーンライトながら」
写真2東海道線ホームで発車を待つ夜行臨時快速「ムーンライトながら」。2011年4月3日

駅本屋が丸の内側にあることから、番線は中央線側からの順になっていますが、歴史的経緯を踏まえれば、やはり東海道線の出発ホームである9・10番ホームが筆頭格になると思われます。

東海道線ホームからは、長らく長距離列車が頻繁に発車してきたものですが、東海道新幹線開業後段階的にその数を減じ、今では寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」、夜行臨時快速「ムーンライトながら」程度になってしまいました。昼行列車では、特急「踊り子」等の伊豆方面へ向かう列車が残っていますが、大半は平塚、小田原、熱海あたりが終着駅になります。かつては見送り客でにぎわったというホームも、今では単に乗降客が行き交っているのみです。

その東海道線も、現在では上野方面へ直通する「上野東京ライン」の中に取り込まれる格好になって、東京駅は中間駅となっているのが実情です。「上野東京ライン」として見た場合、島式2面4線となっています。

旧国電グループは内側に

山手線および京浜東北線が発着する5・6番ホーム
写真3山手線および京浜東北線が発着する5・6番ホーム。2011年4月3日

東京駅の丸の内駅舎(駅本屋)を中心に見た場合、中長距離の東海道線が外側、旧国電が内側という配置になっています。このうち、東海道線に隣接しているのが山手線と京浜東北線です。山手線と京浜東北線は方向別複々線となっており、両者合わせて島式2面4線です。京浜東北線は昼間快速運転を行っているため、ここ東京駅で京浜東北線(快速)と山手線(各停)を乗り継ぐ人もかなり見られます。

中央線ホームは高い位置に

中央線の1・2番ホーム
写真4中央線の1・2番ホーム。2011年4月3日

駅本屋に最も近いのは中央線ですが、他の駅よりも高い位置にあり、いずれのコンコースから移動する場合も、相当に長いエスカレーターを利用することになります。JR東日本公式サイトに掲載されている「構内図」では他ホームと同一の「2F」となっていますが、実際には4階相当の位置にあります。また中央線2番線の直下に、京浜東北線北行の3番線があり、上下で線路が重なっています。

東京駅へ乗り入れる中央線は快速電車ですが、1面2線で全ての列車が折り返すため、列車の出入りがかなり忙しいものになっています。新幹線各線から最も遠いホームということもあって、終点の東京駅に着いた乗客の移動も、心なしか一番慌ただしく見えます。

また、総武快速線および横須賀線が発着する総武ホームは地下の2面4線で、丸の内中央地下口コンコースから降りて乗り換えとなります。ホームは地下5階相当と非常に低い位置にあり、地下水の浸水が激しいことに加え、国鉄後期の予算縮小期に設けられたこともあり、コンコースが大きい割に暗くじめじめした印象が否めません。

東北新幹線ホームは少し高く

東北新幹線ホーム
写真5東北新幹線ホーム。2003年3月15日

JR東日本管轄となる各新幹線は、在来線の東海道線よりやや高い場所に、2面4線が設けられています。1991年6月に新幹線が東京まで開業した当初は1面2線で大変に窮屈な設備でしたが、北陸新幹線(当時は「長野行新幹線」と案内されていました)開業時に拡張されました。ちなみに「JR東日本管轄となる各新幹線」は、線路の戸籍上では東北新幹線だけなのですが、旅客向けには「東北、秋田、山形、上越、北陸の各新幹線」とアナウンスされます。

東海道新幹線に比べて運転本数は少ない一方、運転系統や停車駅が多岐にわたることもあって、列車の折り返し時間はかなり短く、そのためかホーム上は常に大勢の列車待ち客で混雑しています。

京葉線は離れ小島のように

京葉線ホーム
写真6京葉線ホーム。2005年7月3日

ここまで説明してきた各ホームと異なり、京葉線ホームは離れ小島のような場所にあり、ホーム方向も南北ではなく東西になっています。ここはもともと成田新幹線用のスペースとして確保されていたものを転用したものです。

地下3階に2面4線が設けられています。

メインコンコースから離れて

京葉線コンコース
写真7京葉線コンコース。2005年7月3日

京葉線ホームから上って地下1階に出ると、2カ所の出口が設けられており、メインコンコースとは別に京葉線コンコースともいうべきスペースがあります。ここからメインコンコースまではおおむね400mほどは離れており、同一駅とするのがかなり苦しい印象を与えます。ちなみに、メインコンコースへ移動するには、ムービングウォークを3つ乗り継ぐことになります。

京葉線ホームの位置を考慮すると、有楽町駅と同一とみなすほうが自然にも思えます。京葉線ホームからは、東京国際フォーラムが至近距離にあります。

待ち合わせは銀の鈴で

銀の鈴
写真8銀の鈴。2016年3月19日

前述の通り、メインコンコースは大きく見て丸の内と八重洲の2つの出口があり(改札口は南北および地上/地下等に複数設置されています)、高架下の1階部分が改札内、いわゆる「エキナカ」スペースになっています。改札内には、大きく分けて北通路、中央通路、南通路という3つの通路があります。これらの通路に沿って多数の店舗が軒を連ねています。

さらに、地下1階には中央通路の下に中央地下通路があり、この中央付近に「銀の鈴」があります。待ち合わせ用の目印として国鉄時代の1968年6月に設置されたのが初めてで、現在のものは4代目になります。毎時0分になるとメロディーが流れます。

夜行列車待ちにも

銀の鈴脇の待合スペース
写真9銀の鈴脇の待合スペース。2016年3月19日

「銀の鈴」の脇には待合スペースが設けられています。広大な東京駅の中でベンチ設置箇所はいくつかありますが、ここが一番静かなので、特に夜行列車の発車待ちをする人がここに集まる傾向があるように見えます。この他、中央地下通路が中央部から北側へ張り出した部分にも、まとまった席数のある待合スペースがあります。

新幹線乗り換え口は高いところに

東北・上越等新幹線中央乗り換え改札
写真10東北・上越等新幹線中央乗り換え改札(現在の「北のりかえ口」)。2010年12月4日

在来線と新幹線を乗り換えるには乗り換え改札口を使うことになりますが、この乗り換え改札口および新幹線特急券販売窓口のある部分は、階段を数段上ったところにあります(JR構内図では「M2F」と表記しています)。

東北・上越等各新幹線との乗り換え口は2つあり、北側のものは中央通路および北通路、南側のものはエキュート東京および南通路からのアクセスが便利です。

東海道新幹線乗り換え口も

東海道新幹線乗り換え改札
写真11東海道新幹線乗り換え改札。2011年11月17日

一方、東海道新幹線の乗り換え口もやはり2つ設けられています。こちらはJR東海の管轄になっており、基本的にはJR東日本のサービスと互換性がない「エクスプレス予約」対応の券売機がずらりと並んでいます。SuicaとEX-ICカードを併用する場合の処置、EX-ICカードで在来線構内横断など複雑なパターンで利用者が戸惑うことが多いためでしょうか、自動改札機の間を行き来してフォローしている係員が多いのが目にとまります。

丸ノ内側には改札口がしめて5つ

丸ノ内北口改札口
写真12丸ノ内北口改札口。2003年4月24日

八重洲口の駅舎には、北口、中央口、南口の3つがありますが、大手町方面へ連絡するのが北口、東京ステーションホテルやKITTE東京へ連絡するのが南口となっています。この他、地下1階にも八重洲口側に3つの改札口があり、東京メトロ丸ノ内線東京駅には中央口、同東西線大手町駅には北口が便利です。

辰野金吾の大作

改修前全景
写真13改修前の東京駅全景。2005年3月6日

あああ。

八重洲口にそびえている赤レンガ駅舎は、明治時代の日本を代表する建築家、辰野金吾によって設計されたもので、国の重要文化財に指定されています。辰野が留学していたイギリス建築の流れを色濃く受け、要所に堅牢な花崗岩を用いており、赤と白のコントラストがみごと。建設当時は3階建てで、オランダのアムステルダム中央駅がモデルになっているという説もありましたが、これは後世の巷説に過ぎないもののようです。

改修の是非が議論されました

改修前中央口
写真14改修前の東京駅丸ノ内中央口。2005年3月6日

関東大震災の際には大きな被害はなかったものの、1945年5月25日の東京大空襲では天井のドーム部分が焼失し、1947年の修復の際に、現在の姿に生まれ変わりました。当初は応急措置として修復されたものですが、物資が極端に不足していた時代に行われた作業とはいえ、さほど陳腐化・老朽化しているように見えないのは、中央停車場としての東京駅ゆえに、綿密な工事が行われた結果でしょう。

1970~80年代の再開発計画を乗り越えてきた丸の内駅舎も、文化財として価値の高い点は誰しも一致するところですが、辰野が設計した竣工当初に復元しようとする意見と、60年近くの長きにわたり定着してきた現状のままでの保存を望む意見が分かれました。結局前者の意見が通り、JR東日本が進める「東京ステーションシティ」の一環として、3階建てに復原する工事が2007年5月30日から行われており、2012年度なかばに完成しました。

駅前自体も大きく変わる

改修前駅前
写真15改修前駅前。2003年4月24日

駅舎本体の改修を含めた丸ノ内一帯の再開発に伴い、駅前そのものも大きく変わりました。かつては駅前は大きくロータリーになっており、駅のすぐ前までタクシー乗り場が入っていました。その後、駅前広場が整備されて2017年に完成、現在では歩行者スペースだけで駅全体を眺められるようになっています。

復元されたドーム

改修された北口外観
写真16改修された北口外観。戦争での被災後長らく直線的な屋根でしたが、大規模な修復工事によりドームが再現されました。2013年11月23日

丸の内の駅舎は、南北の全長が335メートルにも達する長大なもので、このため正面から全貌を把握するのはとても不可能です。正面に向かって左手の北口は降車専用、右手の南口は乗車専用とされ、中央口は皇室専用口として、車や馬車が乗り付けるようになっていました。もっとも、改札口や構内通路を一方通行にすることのメリットなどほとんどなく、戦後にこの一方通行は解除されました。

北口と南口のそれぞれの改札上には大きなドーム型の天井があり、豪壮な雰囲気が漂っています。正面玄関右手には、歴史ある「東京ステーションホテル」が入っています。

丸の内には、三菱地所系のビルの中に巨大企業の本社などが多く入っており、日本版のマンハッタンともいうべき光景が広がっています。

八重洲側にも立派な駅舎が

八重洲口駅舎旧風景
写真16八重洲口駅舎旧風景。2003年5月16日

一方の八重洲口には「大丸東京店」が入っており、特に食料品売り場の充実ぶりはみごとで、列車に乗る前に買い物をするには最適です。また、地下街には各種の店舗が入っており、全国各地のみやげものは旅行に行かなくてもここで大半がそろってしまうぐらいで、見ているだけでも楽しい。

長らく国鉄時代からあまり変わらない駅風景が見られましたが、2008年11月にツインタワービル「グラントウキョウ」が開業し、また八重洲駅舎には2013年にグランルーフが完成して面目を一新しました。

雑居ビルが建ち並ぶなど雑然とした雰囲気で、最も古い商業拠点であった日本橋へとつながっており、それゆえに庶民的な活気が感じられます。三井本館なども近く、三菱系の企業が多い丸の内とは好対照です。

停車列車 [2011年9月現在]

東海道本線

特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」は、次の停車駅が新橋のものと横浜のものがあります。

  • 寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」 東京横浜
  • 特急「踊り子」ほか 東京新橋
  • 湘南ライナー 東京品川
  • 快速普通 東京新橋

東北・上越新幹線

大半の便は上野に停車しますが、ごく一部通過するものがあります。

  • 新幹線「はやて」ほか 東京上野

総武快速線・横須賀線

特急「成田エクスプレス」の東京以南では、一部品川を通過し、武蔵小杉および渋谷に停車するものもあります。東京以東では、朝は東京方面、夕方以降は成田方面で千葉に停車します。

京浜東北線・山手線

京浜東北線は、昼間時間帯にかぎり、山手線との並行区間である田端-田町間で快速運転を行います(西日暮里、鶯谷、御徒町、神田、有楽町、新橋を通過)。

中央快速線

特急「かいじ」には、ごく一部四ツ谷に停車する便があります。

  • 特急「あずさ」「かいじ」 東京新宿
  • 特別快速通勤快速快速 東京神田

京葉線

特急「さざなみ」「わかしお」には、海浜幕張に停車する便、海浜幕張を通過し蘇我が最初の停車駅となる便があります。

  • 特急「さざなみ」「わかしお」 東京海浜幕張
  • 通勤快速快速各停 東京八丁堀

乗り場

総武地下ホームおよび京葉地下ホーム以外は、番線は基本的に丸の内側から順に、1番線、2番線…となりますが、東海道新幹線開通後に東北・上越新幹線が乗り入れたため、在来線(1~10番線)→東北・上越新幹線(20~23番線)→東海道新幹線(16~19番線)という変則的な順番になっています。

総武地下ホーム、京葉地下ホームは、いずれもほかの路線とは別々の番線が割り当てられており、東京駅本屋側が1番線になっています。

  • 1-2.中央線 新宿、高尾方面
  • 3.京浜東北線北行 上野、大宮方面
  • 4.山手線内回り  上野、池袋方面
  • 5.山手線外回り  品川、目黒方面
  • 6.京浜東北線南行 品川、大船方面
  • 7-10.東海道本線下り 大船、熱海方面
  • 20-23.東北・上越新幹線 新青森、新潟方面
  • 総武1.総武快速線・横須賀線 横浜、久里浜方面
  • 総武2.総武快速線・横須賀線 錦糸町、千葉方面/横浜、久里浜方面
  • 総武3-4.総武快速線・横須賀線 錦糸町、千葉方面
  • 京葉1-4.京葉線下り 舞浜、蘇我方面

駅名の由来

確認中。

歴史

東海道線が延長された1910年当時、ターミナルは呉服橋(現在のJTB本社前付近)に設けられましたが、同駅に代わって皇居正面に、日本の玄関たる中央停車場が設置されることとなり、東海道線と東北線とが接続されました(東北本線が公式に東京駅起点とされたのは、1925年11月1日)。1919年には、それまで万世橋をターミナルとしていた中央線との連絡が成り、山手線の運転も開始されました(当時は完全な環状運転ではなく、中野-東京-品川-池袋-上野)。戦前は、日本の中心である帝都の象徴としての意味合いが非常に濃く、このため1921年に原敬、1930年に浜口雄幸両首相が狙撃される舞台ともなりました。

1925年には神田-上野間が高架化され、これに伴い山手線の環状運転が始まり、長距離列車と電車との棲み分けが明確になりました。1929年には八重洲口が開設され、1933年には鉄道省が直営する「東京鉄道ホテル」(現・東京ステーションホテル)が丸の内口にオープンするなど、役割が拡大されましたが、戦争による被害は大きく、上述のとおり丸の内駅舎の形状は変わりました。東京駅の困難は戦後も続き、1948年には八重洲口に新駅舎が落成するも、翌年には失火により全焼します。これを受けて1952年に、民間資本を導入する民衆駅として八重洲新駅舎を着工する運びとなり、1954年に竣工して百貨店「大丸」が入りました。

高度経済成長期に入ると、大量の長距離列車が東海道本線を発着するようになり、1964年には東海道新幹線が開業。八重洲地下街が開業するほか、待ち合わせの目印に用いられる「銀の鈴」の設置や地下通路の拡充など、単に列車が発着する巨大なターミナルとしての機能だけではなく、多くの旅客をさばくことができるように、変容していきます。

1972年7月15日には、従来の東京駅から皇居側に離れた地下ホームが完成し、総武本線が乗り入れが開始されました。さらに1980年になると、横須賀線電車が新川崎経由となり東海道本線から分離されるとともに、総武本線ホームに乗り入れるようになり、総武線と横須賀線が直通運転を行うようになります。

1987年4月1日の分割民営化の際には、在来線の東京駅がJR東日本、東海道新幹線の東京駅がJR東海の管理となりました(このときは、東北新幹線は未開業)。これからしばらく、「東京エキコン」など各種のイベントが開催されています。1990年3月10日には南に大きく離れた位置に京葉線が、1991年6月20日には東海道新幹線に隣接する形で東北新幹線が乗り入れました。

※以下は、交通博物館編『図説駅の歴史 東京のターミナル』河出書房新社、2006年を参考にしています。

略年表(クリックまたはタップで開閉)
1914年(大正3年)12月20日
呉服橋ターミナルにかわって開業。
1915年(大正4年)11月28日
精養軒が経営する東京ステーションホテルが駅舎2階および3階に開業。
1919年(大正8年)3月1日
東京-万世橋間が開業、中央線電車が東京駅に乗り入れ。
1921年(大正10年)11月4日
東京駅構内で原敬首相暗殺事件発生。
1925年(大正14年)11月1日
東京-神田間が開業、東北本線が東京駅に乗り入れ、山手線電車が環状運転を開始。
1929年(昭和4年)12月16日
八重洲口開設。
1930年(昭和5年)11月14日
東京駅構内で浜口雄幸首相狙撃事件発生。
1933年(昭和8年)12月27日
東京鉄道ホテル(現、東京ステーションホテル)開業。
1945年(昭和20年)5月25日
空襲で被災、丸の内駅舎3階部分など焼失。
1947年(昭和22年)3月15日
丸の内駅舎が2階建てに改造のうえ八角ドームとして再建。
1948年(昭和23年)6月20日
駅構内の一方通行(乗車口と降車口の厳密な区別)を廃止。
1948年(昭和23年)11月16日
八重洲口新駅舎供用開始。
1949年(昭和24年)4月29日
八重洲口駅舎焼失。
1954年(昭和29年)4月15日
常磐線列車が有楽町まで乗り入れ。
1954年(昭和29年)10月14日
八重洲口新駅本屋(鉄道会館)完成。21日には大丸百貨店がオープン。
1956年(昭和31年)7月20日
営団地下鉄の淡路町-東京間が開業し、国鉄と接続。
1956年(昭和31年)11月19日
京浜東北線と山手線の分離運転を開始。
1964年(昭和39年)10月1日
東海道新幹線東京-新大阪間が開業(以下、東海道新幹線関係はJR東海東京駅をご覧くださいと)。
1965年(昭和40年)2月10日
八重洲地下街営業開始。
1965年(昭和40年)10月1日
荷物営業を汐留に移管。
1968年(昭和43年)6月30日
八重洲駅本屋増築(6階建→12階建)完成。
1972年(昭和47年)7月15日
皇居側地下ホーム(東京地下駅)利用開始、総武快速線東京-錦糸町間開業。
1978年(昭和53年)10月2日
東京駅発着の鉄道郵便車全廃、これに伴い郵便通路使用を終了。
1980年(昭和55年)10月1日
横須賀線を地下ホーム発着とし、総武快速線と相互直通を行います。
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄の分割民営化に伴い、東海道新幹線以外はJR東日本の駅となります。
1988年(昭和63年)4月1日
丸の内駅舎2階に東京ステーションギャラリーがオープン。
1990年(平成2年)3月10日
京葉線開業、鍛冶橋通り地下に新ホームが設置されます。
1991年(平成3年)6月20日
東北新幹線・東京-上野間開業、東北・上越新幹線が乗り入れます。当時は1面2線。
1995年(平成7年)7月2日
中央線新ホーム使用開始。
1997年(平成9年)10月1日
北陸新幹線・高崎-長野間が開業したのにあわせ、新幹線ホームを2面4線に増設。
2007年(平成19年)5月30日
東京駅丸の内駅舎復元工事着工。
2007年(平成19年)10月25日
駅ナカ商業施設「GranSta(グランスタ)」オープン[1]
2012年(平成24年)10月1日
東京駅丸の内駅舎復元工事完成。
2013年(平成25年)9月20日
八重洲口のグランルーフ完成。
2015年(平成27年)3月14日
東京-上野間の中距離電車用線路が営業を開始し、東海道線系統東京発着の列車が「上野東京ライン」として直通運転を開始。
2017年(平成29年)12月7日
丸の内駅前広場供用開始。

駅周辺

皇居側は超高層ビルが建ち並ぶオフィス街です。八重洲側は高層ビルと雑居ビルが入り混じっており、大きな八重洲地下街を中心とした商業エリアが日本橋や銀座へと伸びています。

近隣の見どころ

皇居外苑・皇居前広場

丸の内側から西へ、徒歩3分。東京地下鉄-千代田線:二重橋前を参照のこと。

アーティゾン美術館

八重洲側から東へ、徒歩4分。ブリヂストン創業者である石橋正次郎のコレクションを基にしたブリヂストン美術館の後身。印象派を中心とした西洋美術コレクションは日本屈指の充実度を誇り、館内のアメニティの高さも相まって、私立西洋美術館の最高峰に位置する存在といえます。日時指定予約制、月休。

その他

  • 丸ノ内側駅本屋は、国の重要文化財
  • 第1回「関東の駅百選」(運輸省関東運輸局)選定駅。
  • 経済産業省、東京駅を「近代化産業遺産群33」を構成する産業遺産として認定。[2007年11月30日発表]
  1. 東日本旅客鉄道・鉄道会館プレスリリース「エキナカ商業施設「GranSta(グランスタ)」10月25日オープン (2007年7月3日)。

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