丸の内駅舎は皇居を向いて

帝都である東京の玄関口として、皇居へまっすぐと通路を結ぶ位置に設けられた駅です。今でこそ単なる新幹線の始発駅という程度の存在ですが、日本にあまたある駅の頂点に位置するといえる存在でもあります。
多数の線路が高架上に広がり、南北方面からの列車が頻繁に発着するさまは壮観です。西側(皇居側)の丸の内口、東側の八重洲口の2つのメイン玄関から成っています。このほか、皇居側および鍛冶橋通り側にも地下ホームがあります。
皇居に向かって荘厳な駅舎が構えます
帝都である東京の玄関口として、皇居へまっすぐと通路を結ぶ位置に設けられた駅です。今でこそ単なる新幹線の始発駅という程度の存在ですが、日本にあまたある駅の頂点に位置するといえる存在でもあります。
多数の線路が高架上に広がり、南北方面からの列車が頻繁に発着するさまは壮観です。西側(皇居側)の丸の内口、東側の八重洲口の2つのメイン玄関から成っています。このほか、皇居側および鍛冶橋通り側にも地下ホームがあります。
八重洲口にそびえている赤レンガ駅舎は、明治時代の日本を代表する建築家、辰野金吾によって設計されたもので、国の重要文化財に指定されています。辰野が留学していたイギリス建築の流れを色濃く受け、要所に堅牢な花崗岩を用いており、赤と白のコントラストがみごと。建設当時は3階建てで、オランダのアムステルダム中央駅がモデルになっているという説もありましたが、これは後世の巷説に過ぎないもののようです。
関東大震災の際には大きな被害はなかったものの、1945年5月25日の東京大空襲では天井のドーム部分が焼失し、1947年の修復の際に、現在の姿に生まれ変わりました。当初は応急措置として修復されたものですが、物資が極端に不足していた時代に行われた作業とはいえ、さほど陳腐化・老朽化しているように見えないのは、中央停車場としての東京駅ゆえに、綿密な工事が行われた結果でしょう。
1970~80年代の再開発計画を乗り越えてきた丸の内駅舎も、文化財として価値の高い点は誰しも一致するところですが、辰野が設計した竣工当初に復元しようとする意見と、60年近くの長きにわたり定着してきた現状のままでの保存を望む意見が分かれました。結局前者の意見が通り、JR東日本が進める「東京ステーションシティ」の一環として、3階建てに復原する工事が2007年5月30日から行われており、2012年度なかばに完成しました。
丸の内の駅舎は、南北の全長が335メートルにも達する長大なもので、このため正面から全貌を把握するのはとても不可能です。正面に向かって左手の北口は降車専用、右手の南口は乗車専用とされ、中央口は皇室専用口として、車や馬車が乗り付けるようになっていました。もっとも、改札口や構内通路を一方通行にすることのメリットなどほとんどなく、戦後にこの一方通行は解除されました。
北口と南口のそれぞれの改札上には大きなドーム型の天井があり、豪壮な雰囲気が漂っています。正面玄関右手には、歴史ある「東京ステーションホテル」が入っています。
丸の内には、三菱地所系のビルの中に巨大企業の本社などが多く入っており、日本版のマンハッタンともいうべき光景が広がっています。
反対側である八重洲口にずらりと居並ぶ高速バスの列は、八重洲の風物詩といってよいでしょう。筑波方面へ向かう高速バスや臨海副都心とを結ぶ短距離の路線バスまで、さまざまです。
八重洲の駅ビルは12階建てで「大丸東京店」が入っており、特に食料品売り場の充実ぶりはみごとで、列車に乗る前に買い物をするには最適。また、地下街には各種の店舗が入っており、全国各地のみやげものは旅行に行かなくてもここで大半がそろってしまうぐらいで、見ているだけでも楽しい。雑居ビルが建ち並ぶなど雑然とした雰囲気で、最も古い商業拠点であった日本橋へとつながっており、それゆえに庶民的な活気が感じられます。三井本館なども近く、三菱系の企業が多い丸の内とは好対照です。
八重洲口にも再開発の波が迫っており、南北両側に超高層のツインタワービルが建設される予定です。名古屋、札幌に続いて、JRの玄関駅には超高層のタワービル、というのが定着しそうな気配があります。
現在のホームは、2階の東海道本線・京浜東北線・山手線が4面8線、3階の東北新幹線(上越新幹線なども含む)が2面4線、4階の中央線が1面2線となっており、北口・中央口・南口の1階にそれぞれ連絡通路が設けられています。
また、総武快速線および横須賀線が発着する総武ホームは地下の2面4線で、丸の内中央地下口コンコースから降りて乗り換えとなります。ホームは地下5階相当と非常に低い位置にあり、地下水の浸水が激しいことに加え、国鉄後期の予算縮小期に設けられたこともあり、コンコースが大きい割にじめじめと薄暗い印象が否めません。
いっぽう京葉線も地下の2面4線ですが、もともと成田新幹線用のスペースとして確保されていたもので、東西を自由通路で結んだ中を取り囲むように改札内エリアが仕切られており、事実上別のコンコースが用意されているといっていいでしょう。乗り換えの際は、南口からムーヴィングウォークを3本乗り継いでいく必要があるので、東海道本線との乗り継ぎには20分程度の余裕がほしいところです。この京葉線ホームからは、東京国際フォーラムが至近距離にあります。
高架駅ですが、駅の東西を結ぶ自由通路は駅の北側に一本あるのみで、高架下の空間は北口通路、中央通路、南通路を軸とした改札内通路で占められています。また“駅ナカ”が非常に発達しており、多種多彩な商品販売店や飲食店が林立しています。
東北・上越新幹線の乗り入れや、中央線ホームの移動など、つねにさまざまな工事が行われていますが、現在は八重洲口の駅ビルが再開発工事のために大きく姿を変えつつあります。
特急「踊り子」「スーパービュー踊り子」は、次の停車駅が新橋のものと横浜のものがあります。
大半の便は上野に停車しますが、ごく一部通過するものがあります。
特急「成田エクスプレス」の東京以南では、一部品川を通過し、武蔵小杉および渋谷に停車するものもあります。東京以東では、朝は東京方面、夕方以降は成田方面で千葉に停車します。
京浜東北線は、昼間時間帯にかぎり、山手線との並行区間である田端-田町間で快速運転を行います(西日暮里、鶯谷、御徒町、神田、有楽町、新橋を通過)。
特急「かいじ」には、ごく一部四ッ谷に停車する便があります。
特急「さざなみ」「わかしお」には、海浜幕張に停車する便、海浜幕張を通過し蘇我が最初の停車駅となる便があります。
総武地下ホームおよび京葉地下ホーム以外は、番線は基本的に丸の内側から順に、1番線、2番線…となりますが、東海道新幹線開通後に東北・上越新幹線が乗り入れたため、在来線(1~10番線)→東北・上越新幹線(20~23番線)→東海道新幹線(16~19番線)という変則的な順番になっています。
総武地下ホーム、京葉地下ホームは、いずれもほかの路線とは別々の番線が割り当てられており、東京駅本屋側が1番線になっています。
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東海道線が延長された1910年当時、ターミナルは呉服橋(現在のJTB本社前付近)に設けられましたが、同駅に代わって皇居正面に、日本の玄関たる中央停車場が設置されることとなり、東海道線と東北線とが接続されました(東北本線が公式に東京駅起点とされたのは、1925年11月1日)。1919年には、それまで万世橋をターミナルとしていた中央線との連絡が成り、山手線の運転も開始されました(当時は完全な環状運転ではなく、中野-東京-品川-池袋-上野)。戦前は、日本の中心である帝都の象徴としての意味合いが非常に濃く、このため1921年に原敬、1930年に浜口雄幸両首相が狙撃される舞台ともなりました。
1925年には神田-上野間が高架化され、これに伴い山手線の環状運転が始まり、長距離列車と電車との棲み分けが明確になりました。1929年には八重洲口が開設され、1933年には鉄道省が直営する「東京鉄道ホテル」(現・東京ステーションホテル)が丸の内口にオープンするなど、役割が拡大されましたが、戦争による被害は大きく、上述のとおり丸の内駅舎の形状は変わりました。東京駅の困難は戦後も続き、1948年には八重洲口に新駅舎が落成するも、翌年には失火により全焼します。これを受けて1952年に、民間資本を導入する民衆駅として八重洲新駅舎を着工する運びとなり、1954年に竣工して百貨店「大丸」が入りました。
高度経済成長期に入ると、大量の長距離列車が東海道本線を発着するようになり、1964年には東海道新幹線が開業。八重洲地下街が開業するほか、待ち合わせの目印に用いられる「銀の鈴」の設置や地下通路の拡充など、単に列車が発着する巨大なターミナルとしての機能だけではなく、多くの旅客をさばくことができるように、変容していきます。
1972年7月15日には、従来の東京駅から皇居側に離れた地下ホームが完成し、総武本線が乗り入れが開始されました。さらに1980年になると、横須賀線電車が新川崎経由となり東海道本線から分離されるとともに、総武本線ホームに乗り入れるようになり、総武線と横須賀線が直通運転を行うようになります。
1987年4月1日の分割民営化の際には、在来線の東京駅がJR東日本、東海道新幹線の東京駅がJR東海の管理となりました(このときは、東北新幹線は未開業)。これからしばらく、「東京エキコン」など各種のイベントが開催されています。1990年3月10日には南に大きく離れた位置に京葉線が、1991年6月20日には東海道新幹線に隣接する形で東北新幹線が乗り入れました。
※以下は、交通博物館編『図説駅の歴史 東京のターミナル』河出書房新社、2006年を参考にしています。
丸の内側から西へ、徒歩3分。東京地下鉄-千代田線:二重橋前を参照のこと。
八重洲側から東へ、徒歩4分。ブリヂストン創業者である石橋正次郎のコレクションを基にした美術館です。印象派を中心とした西洋美術コレクションは日本屈指の充実度を誇り、館内のアメニティの高さも相まって、私立西洋美術館の最高峰に位置する存在といえます。800円、月休。
【Link】ブリヂストン美術館公式Webサイト